糖尿病の精密数理モデル[2]

前回記事は,糖尿病の状態をコンピュータによるシュミレーションで解析するという内容でした.

このような試みは HOMA を初めとして いくつか行われているのですが,いずれも簡略化したモデルなので,計算結果が出せたとしても どの程度の実用性があるのかは検証できず,したがって あまり広まっていません.

HOMA-βHOMA-IRがそれでも現在使われているのは,簡単なデータSet(空腹時 及び 糖負荷試験30分での血糖値とインスリン値)さえあれば,患者のインスリン分泌能(=膵臓β細胞の能力)と インスリン抵抗性をある程度把握できるという簡便さがあったからです.

しかし,同時に HOMA数値の簡便性は 利点であると同時に欠点でもあります. AさんとBさんとで,二人のHOMA-βや HOMA-IRが まったく同じ数値であれば,二人の病態は まったく同じということになってしまいます.

ですが, Aさんが痩せ型で,Bさんが高度の肥満であった場合,二人のHOMA-IRが同じ数値(仮に3.0として)だからといって,そもそもこの二人の血中インスリン値はまるで違うでしょうから,二人のインスリン抵抗性は同等であるとは言えません. それでも使われているのは,同一人の経時的な変化を見るには参考になるからです.つまりBさんが肥満解消に努めたら 同時にHOMA-IRも低下していったのであれば 減量は効果があったとみなせる,という具合です.

このように HOMA数値は異なる人との間の比較,つまり個人差をまったく評価できません.

そこで前回記事 で紹介したように,血糖値を含めて糖尿病にかかわる あらゆる要素を盛り込んだ コンピュータ シミュレーションが発表されました.

Sarkar 2018

え? PWC?

まずこの論文を目にした時に著者の所属先に驚きました(上図 赤枠内). 『PWCって あのPWC? まさか』と思ったからです.なぜなら私の知る PWC= PriceWaterhouseCoopers LLP とは,ロンドンに本社があり世界に20万人以上の社員をかかえる プライスウォーターハウスクーパース有限責任監査法人だからです.世界の四大会計事務所の一つであり,日本でもなだたる大企業は PWCが会計監査人となっています.

そんなPWCが医学論文など出すはずがないと思ったのですが,本当にあのPWCの論文でした. ただし著者の経歴を見ると,医師,IT専門家などであり,決して経理屋さんが一念発起して書き上げた論文ではありません.

さらに調べると上記の論文発表に先立って2016年から順次 特許を出願していたらしく,現時点で 下記の米国特許 USP10,398,389 [PDF] が成立しています.

この特許明細書の内容は ほぼ上記文献と同じです. というか順序は逆で,この特許が先であり,それを医学論文向けにRewriteして投稿したのでしょうね.ただし この特許に書かれていて 上記論文に書かれていないことがあります.それは このシミュレーションプログラムを開発した目的,すなわち有用性です.

BACKGROUND

We live in a new era of data availability, understanding of human physiology, and computing power with lives being remotely monitored due to sensor availability and the expansion of electronic medical records (EMR.s). We can use these newv advances to change how we approach health using simulation modeling much like weather modeling in 1960s and nuclear weapons simulations in 1980s. If we can use science and physiology to understand the impact of health interventions prior to implementation, we can calculate the economic value of an intervention, to build a business case prior to an implementation, and identify the right behaviors for change.

Currently, systems used to study human physiology model singular physiological processes in the body without taking into account the impact of rich interconnections and feedbacks between the many processes in the whole body. These feedbacks and interconnections between physiological processes combined with our improved understanding of the systems are critical for understanding the observed health state of an individual. Interventions modeled without considering whole body physiology are therefore insufficient to simulate health interventions at the level of an individual and cannot connect overall health outcomes to interventions.

In view of the foregoing, a need exists for an improved system and method for physiological health simulation in an effort to overcome the aforementioned obstacles and deficiencies of conventional systems.

USP10,398,389

発明の背景

私たちは、データの可用性、人間の生理機能の理解、コンピューティング能力の新時代に生きており、センサーの可用性と電子医療記録 (EMR) の拡大により、生命をリモートでモニターできるようになった.これらの新しい進歩を利用して、1960 年代の気象モデリングや 1980 年代の核兵器シミュレーションと同様に,シミュレーション モデリングを使用して、健康へのアプローチ方法を変えることが可能である。 科学と生理学を利用して健康介入の影響を 実施前に予め理解できれば、介入の経済的価値を計算して、健康介入実施前にビジネスケースを構築し、変化に適した行動を特定することができる。

現在、人間の生理学を研究するために使用されているシステムは、全身の多くのプロセス間の豊富な相互接続やフィードバックの影響を考慮せずに、体内の単一の生理学的プロセスをモデル化しているだけである。 これらのフィードバックと生理学的プロセス間の相互接続は、システムの理解の向上と組み合わされて、観察された個人の健康状態を理解するために重要である。 したがって、全身の生理機能を考慮せずにモデル化された介入は、個人レベルでの健康介入をシミュレートするにはまったく不十分であり、全体的な健康成果を介入に結び付けることはできない。

以上を考慮すると、従来のシステムの前述の障害および欠陥を克服するために、生理的健康シミュレーションのための改良されたシステムおよび方法が必要である。

天気予報と並んで核兵器 実験のシミュレーションを例にあげているところが米国らしいですが,つまり 従来技術から隔絶した進歩が達成できると主張しているのです.

たしかに 一般論ではなく,特定個人の健康状態や将来の疾病発生を予測できれば,大きなビジネスチャンスを生むでしょう.PWCは監査だけでなく,経営コンサルタントも行っていますから,例えば生命保険会社に対して このプログラムを独占的に提供できるということは 大きな強みになるからです.

[続く]

コメント