食事療法の迷走[58完] 【完結にあたり】

患者は日の出を待っている

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日本が敗戦直後で,その日の食べ物すら事欠いていた時代から,やっと現在までたどり着きました.
本来であれば,最終回は今年の第63回日本糖尿病学会につなげる予定だったのですが,10月のWEB開催のプログラムを見ると,食事療法に関するシンポジウムはこの1本のみで;

しかも,件名をみる限りは,相変わらず『カロリー制限食』の枠組みのようですから,あまり期待はできないかもしれません.

連載の動機

純粋に日本糖尿病学会や日本糖尿病協会のパンフレットに従って,忠実に 炭水化物60%/ 1,600kcalのカロリー制限食と運動を継続していたのに,どんどん悪化する血糖値に困惑して,専門書・海外の文献を読み漁り,関連する学会にも参加して感じたのは,『これは自分で考えるしかない』という確信でした.

しかし,ネットで情報を探しても,単に 患者向けのパンフをそのまま転記しただけのものがほとんどでした. たまに 目を惹くような文章が並ぶサイトを見つけても,ただ1本の論文・ただ一片の情報だけを根拠として断定的に書いてあるだけのものばかり.

当時は夢中で文献を集め,学会でメモを取っていましたが,ようやく時間的ゆとりも得たので,これまで 集めた 過去から現在までの糖尿病情報を『面』として整理しようとしたのが,この連載の動機です.
糖尿病の食事療法に関する主な出来事はだいたい網羅したつもりです.

この情報と自分自身のデータとを見比べて,更に安定した血糖コントロールを達成する方法を考えることが今後の方針です.

迷走

記事にも書きましたように,日本糖尿学会だけでなく,世界の糖尿病医学界では,食事療法については右往左往を重ねてきましたた.

しかし,ここまでのところを振り返ってみると

海外では その時その時での大規模試験やエビデンスを元に,機敏に方針を切り替えて打ち出してきた

つまり豹変と見えるような方針変更があったとしても,その根拠はこれこれだからと,過去のメンツにはこだわらず,常にその時点の最適解と思えることに切り替えていく姿勢です.
現時点でのADAの食事療法ポリシーなんて,つまりは『根拠が何もないことも,また一つの根拠である.よって,一人ひとり違う=個別にみるしかない』という割り切りぶりです.いくらエビデンスと叫んでも天から降ってくるわけではありません.ないものはないのです.

一方日本糖尿病学会も

(戦後の貧しい食糧事情が背景にあったとはいえ)当初は,健康維持のための最低摂取栄養素を確保して,それを上回る部分は,『患者を見て個々に考える』というのが基本だったのです.

少なくとも食品交換表第4版までは,糖尿病患者の食事療法も『治療』であり,それは医師が考えることになっていました.その時代では(どれほど実行できていたかは不明ながら),食事療法は医師の手元にあり,その参考にするための手軽なデータポケットブックとしての『食品交換表』が用意されました. つまり,『食品交換表』は単なるツールに過ぎなかったのです.

ところが,『食品交換表』は第5版で大きく変貌します. 単なる参考ツール,すなわち『使っても使わなくてもいいですが,使うと便利ですよ』という位置づけから,急に頭が高くなって

『食品交換表が すなわち糖尿病食事療法そのものである』

『医師も管理栄養士もこれに従わなくてはならない』としてしまいました. もちろん,そうすることに 完全で確固としたエビデンスがあったのなら,それは当然だったでしょう. しかし,ここまでの連載記事にも書いたように,実はエビデンスなど何もなかったのです.

つまり,日米共に 食事療法については エビデンスは見出せませんでした.その点では同じです.しかし,結果は正反対となりました. 米国は『エビデンスはないのだから,やはり個別に考えるしかない』となりました, これは 日本糖尿病学会のスタート時点と同じといえます. しかし,日本では,エビデンスがないままに どんどん『食品交換表=カロリー制限食』を神格化して,個別化とは真逆の,『病態や年齢も一切考慮しない一律の糖尿病食』を30年も続けてしまったのです.

やっと振り出しに

たしかに 昨年の仙台での日本糖尿病学会以降,糖尿病の食事療法は 多様化・個別化の方向に おそるおそる転換しようとしているように見えます.
しかし,5月に発行された 『糖尿病治療ガイド 2020-2021』に記載された『炭水化物 40%も可』という方針は,実は2012年5月の日本糖尿病学会の時点で おおむね賛成が多かったのです. この学会では,さらに『糖尿病患者にカーボカウントを指導するのは有効だ』という意見も大勢でした.ですから『糖尿病治療ガイド 2020-2021』は ,8年もかけて,ようやく 振り出しに戻っただけなのです.

ところが,2012年から最近まで 『食品交換表=炭水化物60%のカロリー制限食』を至上の理想とみなす人たちの驚異的な粘りによって,2013年の『提言』が出されたり,『食品交換表』第7版では『糖質制限食は行ってはならない』と記載されました

医学は科学であるべき

どうして,こんなに回り道をして時間を浪費してしまったのでしょうか?
それは,1993年の時点の『肥満こそ糖尿病原因のすべて』=『だから厳格なカロリー制限食』という方針が遠因です. しかし,当時は誰もがそう思っていたでしょうから,それ自体は非難されるべきことではなかったと思います. 問題はその後です.

科学の世界では,教科書に載るような『定説』とされていたものが一夜にしてひっくり返ることは珍しくありません. 医学も科学である以上,不断の 科学的検証を行っていけばよかったのです.ここがADAと日本糖尿病学会の違いです.

ADAもたしかに 食事療法ガイドラインはコロコロ変わりましたが,それは常にエビデンスでハンドルを切ってきたからです.

しかし,日本では,1つの説に過ぎないカロリー制限食を,科学的仮説ではなく,『ドグマ』にしてしまった. したがって,方針転換はおろか いささかの変更・修正も許されない存在としてしまった.

その一例が,カーボカウントの扱いです.糖質制限食がいいか悪いかということをさておいても,糖尿病患者に『糖質摂取と血糖値との関係』=『カーボカウント』を理解させることは,何も悪いことではなく推奨されるべきことです. ところが,カーボカウントですら,『カーボカウントを悪用して,糖質制限に走る患者が多くなるから』という理由で,1型の患者以外には教えないようにしてしまった.こうなるともう医療とは言えないでしょう.

しかし,まさにその『カーボカウントは2型の糖尿病患者に教えないようにしよう』という とんでもない考えが,皮肉にも情勢変化の引き金を引いてしまいました.

糖尿病患者を日々見ている 臨床の最前線からは,患者にカーボカウントを意識してもらうことは十分に意味があると実感していましたし,学術的にもデータは豊富でした. しかも,薬物のような副作用はありえません. したがってカーボカウント自体は,すべての糖尿病患者に推奨されるべきことです.1型患者だけに限定される理由はありません.糖尿病患者のことを思えば第一優先で採用すべきだったことなのです.

ところが,食品交換表を守りたいあまり,糖質制限食を憎むあまり,カーボカウントにまでネガティブな態度を貫いてしまった. そしてインスリンを使っている1型の患者以外には認めようとしなかった(現在の患者向けパンフ『治療の手びき』でもそうです).
従来は糖質制限食に懐疑的であった栄養学関係者ですら,これには呆れたでしょう. それまで『糖質制限食は 異端の民間療法』と主張してきたカロリー制限食派が,あろうことか カーボカウントまで否定したために,すなわち 大多数が有効と認めていることまで否定したために,一挙に少数派に転落してしまったと思います. 『食品交換表を守るためなら,患者のためになることまで反対するのか』と

UNESCOの『和食文化』無形文化遺産登録もそうでした. 『食品交換表のすばらしさ』を補強するネタにしようとしたために,食文化の研究者から反発をかってしまった.

何が何でも『食品交換表』には指一本触れさせない,その盲目的な情熱が かえって自らの自由度を制約することになり,しかも作らなくてもいい敵まで増やしてしまった. 実に愚かな行為です.

東日本大震災の時には,あれほどの事態にもかかわらず冷静に行動する日本人に世界は驚嘆しました.『ルールを守る日本人』の本領が発揮されたのです.ただし,その日本人はまた『ルールを変えられない日本人』でもあります.日本人は一糸乱れぬ団結が大好きです. 全員がみな同じという姿に『美』を感じます.しかし,あまりにも 一律の糖尿病食=食品交換表にこだわりすぎました
たしかに 病院での栄養指導 最前線から見れば,規定のガイドラインがあり,それに従っていればいいというのは楽だったのでしょう.最近は病院食も外注が多いので,一律のメニューはコストダウンにもなります.

しかし.『このほうが手間が省けるから』という理由だけで治療法を選択したら,それは医療ではありません.

今 この瞬間にも日本中の病院では,男性なら『炭水化物60%/1,600kcal』,女性なら『炭水化物60%/1,400kcal』が『糖尿病食』として出されています.

この状態が 1日でも早く終わることを願っています.

食事療法の迷走【完】

[ご連絡]

長期連載を行っている間は,WordPress,PHP,プラグインなど のVersion更新が滞っておりました. ようやくこれらを手掛け始めますので,しばらく 記事更新がとだえるかもしれません. ご了承願います.

コメント

  1. 西村 典彦 より:

    >今 この瞬間にも日本中の病院では

    食事と生命は表裏一体です。その毎日、一生食べ続ける食事を「お前の食事はこれしかない」と言う(一部の人の)理想を掲げたやり方では続けることができず、結局、ただのお題目で終わってしまいます。
    少しくらい、理想から外れても長く続けられる事の方が結果が出るでしょう。
    過ぎたるは猶及ばざるがごとし。押し付け過ぎはその反動がきますから。

    >カーボカウントを悪用して,糖質制限に走る

    血糖値のコントロールにおいて、カーボカウントほど、単純明快な方法はないはずです。
    長期のエビデンスがないと言うなら、少なくとも短期間導入する事に何の問題もないと思います。

    結局、糖質制限の「何」が悪いと言いたいのでしょう。
    反対派はこれに答えられるのでしょうか。未だ、謎です。< きっと都合が悪いのですねw

    • しらねのぞるば より:

      >反対派はこれに答えられるのでしょうか

      糖質制限食が話題になり始めた2010年頃,感情にまかせて『あんなものは民間療法』『危険だ』『絶対禁止』と言ってしまいました.このことが現在まで尾をひくことになったと思います.
      そう言ってしまった以上,カーボカウントまで否定せざるをえなくなったからです.

      後に 異例の長文の『2013年提言』を出して,『エビデンスがないから推奨できない』と表現を緩やかにしたつもりなのでしょうが,実は最初の反応はその程度にしておけばよかったのです.

      しかも『エビデンスがないから...』は,二重に墓穴を掘っています.
      2016年の学会で『カロリー制限食にはエビデンスがない』ことを認めたので『カロリー制限食は推奨できない』ことになってしまいました.

  2. kz より:

    >結局、糖質制限の「何」が悪いと言いたいのでしょう。

    海外で糖質制限が認められても、糖質制限反対派は頑強に反対してきました。
    彼らは糖質制限の有効性を熟知しているはずです。

    知っているからこそ反対している理由は「失業」でしょう。
    ・食事関係者
     糖質制限には、食事指導は要らないので、栄養士は失職します。

    ・製薬メーカー
     糖尿病治療薬は壊滅的に減少します。
     糖尿病学会幹部に研究費・講演謝礼という名目の賄賂を贈って抱き込み工作をしています。

    ・糖尿病専門医
     患者数が激減します。

    ただし、ゴハンが命、甘いもの大好きの糖質中毒者がどのくらい残るかで失業率は異なります。
    彼らは糖質制限ができないので、死ぬまで糖尿病患者であり続けるでしょう。

    • 西村 典彦 より:

      >理由は「失業」

      やっぱり、都合が悪いのですねw

      >彼らは糖質制限ができない

      なぜできないのかと考えると
       自分の状況に危機感がない
       やらずに「無理」と否定する
       肉よりご飯が健康的だと言う呪縛
       単なるわがままで自分に甘い
       体質、完全な糖質中毒
      などでしょうか。

  3. かかか より:

    2日おきの連載、お疲れ様でした。
    毎回読んではいましたが、頭の整理が追いつかず…
    昔からある病気であるわりには、まだ分かっていない事も多いでしょうね。

    • しらねのぞるば より:

      >まだ分かっていない事も多い

      分かっていることの方が少ないというのが現状ではないでしょうか.

      ただし 1990~2000年代の学会の資料を見ると,もう明日にでも糖尿病のすべては解明されるという雰囲気だったようです. その頃から 遺伝子の解明も進み,次々と新薬も出てきましたから,世界的に 楽観していたのでしょう.

      • かかか より:

        2日おきではなかったですね。1日おきでした。

        楽観視。そうですね、新薬は何種類か出ましたね。個人的には、血糖値の簡易測定器が境界型の患者にも保険適用になるといいなと思います。

  4. kz より:

    >世界的に 楽観していたのでしょう.

    1970頃から透析患者が増え続けて30万人まで達し、いまだに減少する気配がありません。
    透析患者の約半分は糖尿病由来です。

    この事実をしらねのぞるばさんはどのようにお考えですか。
    楽観の根拠は何だったのでしょうか。

    • しらねのぞるば より:

      >楽観の根拠は何だった

      日本糖尿病学会が『当時は楽観していた』などと公式発表するわけはないので,以下は私の個人的意見です.

      『「昔は糖尿病が少なかった」は本当か』の記事にも書きましたが1970年代以前には,まだ CGMはもちろん SMBGすら普及していなかったので,その時代には なんらかの自覚症状が出て 初めて病院に駆け込む人がほとんどだったでしょう.そして 1980年代までは糖尿病の治療手段は インスリンとSU剤だけでした(ビグアナイドは知られていたが,1970年代にほぼ使用禁止になっていた).

      ところが1990年年代に入ると;
      α-グルコシダーゼ阻害薬
      第二世代SU剤 グリニド系
      チアゾリジン系
      GLP-1受容体作動薬
      DPP-4阻害薬
      と,作用機序の異なる 新薬が続々と出てきました. また危険だと思われていたビグアナイドの安全性も UKPDSの結果などから確認され解禁されました.

      更に
      糖尿病の発症・進行にかかわる遺伝子の解明報告も相次ぎました.
      『新生児の段階で DNAを調べておけば,将来かかる病気も,その治療法も予測できる』とまで言われたこともありました.
      また 1型糖尿病の診断に欠かせない 抗GAD抗体の同定など,診療手段も格段の進歩でした.

      以上のことが1990~2000年代に一斉に起こったのです.(詳細は 糖尿病医療 進歩の歴史 糖尿病リソースガイド 参照)
      それまでがいわば 使える手段の少ない『停滞期』だったので,この変化は劇的だったでしょう.

      当時 糖尿病研究の最前線にいて働きざかりだった人は,『この調子でいけば,糖尿病は すぐにでも完治療法が確立する』と思ったのではないでしょうか.
      そして,その期待の分だけ『食事療法など とりあえず管理栄養士に 今まで通りの方法をまかせておけばいい』と軽視したように思います.

      以上 すべて私の主観ですが,当時はそういう雰囲気でした.

  5. chi-ba より:

    連載、楽しみに読ませていただきました。
    身内が若年性糖尿病で、ずっとカロリー制限をしてきたのに徐々に悪化、インスリン注射開始した時に血糖測定器を渡されず(!!)低血糖で救急車が2回(救急隊員に「ありえない!」と言われた)
    どうしたら良いか悩んで糖質制限にたどり着きました。

    江部先生は10年前に「もっとインスリン減らせるし血糖値は良くなるよ」と言ってくださった。
    一昨年のかかりつけ医は「糖質制限は注射している人はダメなんです」でした。新薬出すのが好きな先生。
    昨年の医師は「糖質制限は寿命が縮まるとはっきり結果がでています」でした。この時はケトアシドーシス で入院したんですけどね。糖質制限を伝えたら、さくっと否定されました。
    現在のかかりつけ医は、何も言わない。こちらも何も言わない。

    だれを信頼していいのやら。結局自分の頭で考えて行動するしかないって事ですね。事実は糖質を摂ると血糖値が上がる、という事です。これだけは確実です。

    • しらねのぞるば より:

      >インスリン注射開始した時に血糖測定器を渡されず

      これは ひどい!! 当時の医師はどういう弁明をしたのでしょうか.

      >現在のかかりつけ医は

      学会の変化の風向きを感じているのかもしれませんね. 治療ガイドもわずかとは言え改訂しました.また理事長だけでなく,学会幹部(理事以上)も 世代代わりを完了しました.今後は『科学的なアプローチの食事療法』を 全国の医師に浸透させてもらいたいものです.

  6. kz より:

    >すべて私の主観ですが,当時はそういう雰囲気でした.

    50年間に渡って現在まで透析患者が増え続けている事実は、
    糖尿発症原因がわかっていないものと見なせます

    糖尿病学会の主要メンバーはこれに対してどう考えているのでしょうか
    糖質制限は発症後の対策だと思います

    • しらねのぞるば より:

      >糖尿発症原因がわかっていない

      日本糖尿病学会が,糖尿病の発症原因をどう考えているかは,『糖尿病診療ガイドライン 2019』p.11の表2『糖尿病とと代謝異常の成因分類』に書かれている通りです.
      ただし,この表では,2型糖尿病の状態(=インスリン分泌低下とインスリン抵抗性とがある)を述べているだけで,その成因については述べていません. 2型糖尿病の発症原因は未だ不明であると考えているからでしょう.
      日本の学会に限らず,世界中の医学会で,2型糖尿病の発症原因を解明できておりません.せいぜい肥満がインスリン抵抗性のトリガーになるということぐらいです.

      ただし,糖尿病に限らず,癌・高血圧・高脂血症…等々 発症原因が完全に解明されている病気は(感染症を除いては)ないんじゃないでしょうか.人間の浅知恵は まだそういう段階だと思っております.