ケトン体は『飢餓時だけに生成される非常エネルギー』なのか[3]

ケトン体に関する プチャルスカ博士のレビューを読み進めています.このレビューでは,ケトン体についての最新の知見が網羅されています.

ケトン体はどこでどうやって作られるのか

ケトン体が製造される場所は ほぼ肝臓のみです.

ケトン体は脂質を分解した脂肪酸を原料として肝臓のミトコンドリア内で作られます.

脂肪酸とはアルキル基(炭化水素基)にカルボン酸基がついた有機酸です. この内,炭素数の多いものが長鎖脂肪酸と呼ばれます.

一般に炭素数が10程度を越えると長鎖脂肪酸,それ以下だと中鎖 又は 短鎖脂肪酸です. 短鎖脂肪酸の代表は酢酸で,お酢の主成分です.長鎖脂肪酸は 高級脂肪酸と呼ばれることもありますが,別にデラックス仕様というわけではなく,単に炭素の数が多いというだけの意味です.
この長鎖部分を見ると,CH2がズラリと並んでいます,動物性脂肪にも植物性脂肪にも含まれる代表的な長鎖脂肪酸であるステアリン酸は

という構造で,CH2部分が16個も繰り返しているのが目立ちます.

ところで我々が車の燃料としているガソリンの主成分は ヘプタンやオクタン(『オクタン価』のオクタンです)です.これらは下記の構造です(実際には直鎖状だけでなく枝分かれしているものもあります).

やはり CH2がズラズラ並んでいます.

つまり『ガソリンは燃料である』とまったく同じ意味で,脂肪酸も『燃料』なのです. 火を点ければ燃えます. 適切な割合で酸素と混合すれば爆発もします.

ですから 人体が脂質から得た脂肪酸をエネルギーにしているのは理にかなっています. 脂質は体積あたりもっともカロリーが高いので,皮下脂肪として蓄えておけばかさばりません. かさばるとしたら,それは肥満であり蓄えすぎたのです.飢饉などで 何日も食事が食べられなくなっても とりあえず餓死することはありません.人類は,1年の内9か月以上が厳冬という氷河期を この『貯蓄のできるエネルギー』である脂質で生き延びたのです.皮下脂肪を必要に応じて脂肪酸に分解して燃料にしているわけです.

しかし エネルギーの塊のようなこの脂肪酸は,人体内では扱いにくい物質です. 特に長鎖脂肪酸は水に溶けません(※). これでは血液にのせて人体内部の臓器・筋肉に輸送するには非効率です.

(※)ステアリン酸の場合 0.3mg/dlしか水に溶けません.

そこで,脂肪酸をもう少し,というか非常に扱いやすく血液輸送しやすいように,小分けに分解してくれるのがβ酸化という方法です.

β酸化とは

電子改札が普及した現在ではほとんど目にすることはなくなりましたが,昔は紙の回数券がよく使われていました.

回数券は,切符や利用券などがズラリとつながったもので,使用の都度 端っこから一枚ずつ切り離します, 真ん中から使う人はあまりいないでしょう.

β酸化もこれと同じです,上記のズラリとつながった 脂肪酸(実際には脂肪酸が補酵素Aと結合したアシルCoA)を端から 切り分けてくれるのです.ただし単純にバラバラに分解するのではなく,脂肪酸の末端から炭素数2つ分ずつ切り離して[★]アセチルCoAという化合物に変換します.切り詰められた脂肪酸は 再び元の反応に戻って,さらに短くされていきます.
[★] 『炭素数2つ分ずつ切り離して』= 炭素-炭素結合(C-C)は非常に強固です.したがって通常はそんなに簡単に切れるものではありません. β酸化は,この強固な炭素結合切断を 4段階の化学反応でほれぼれするほどスムーズに行っています.詳細はこちらを参照.

このβ酸化は,人体のどの細胞でも行われます. そして生成したアセチルCoAは ミトコンドリア火力発電所の燃焼炉であるクエン酸回路に投入されて,大量のエネルギーを発生させます.

ケトン体合成

ところが,肝臓では 上記のアセチルCoAの有酸素燃焼(クエン酸回路)だけでなく,ケトン体の合成も行われます. それは 上記のクエン酸回路に投入できるアセチルCoA燃料には投入上限量があるからです.燃焼回路に入るためには,相棒となるオキザロ酢酸(上図の青 囲み)が必ず1対1で存在していなければなりません. ですので,β酸化で脂肪酸を 端から チョッキンチョッキンと派手に切り分けても,オキザロ酢酸が それに見合う量で存在しないと アセチルCoAが余ってしまいます. この時に亢進するのが『アセチルCoAからのケトン体合成』です.

ずいぶん複雑な合成経路でケトン体が作られます.最初のステップで 2つのアセチルCoAが合体してアセチルアセトCoAとなる反応は クライゼン縮合と呼ばれる反応です.クライゼン縮合は 実験室のフラスコでは簡単に起こせる反応ですが,それは強アルカリの存在下という過酷条件ですから,こんなことが人体内部で起こっていることは素直にすごいです.

この『過剰なアセチルCoAは すべてケトン体製造に回される』という点を,『すべてのケトン体は アセチルCoAが過剰な時にのみ生成される』と誤解したために,

ケトン体は飢餓時しか作られない

という珍説になったわけです. しかし,ケトン体はいつでも肝臓で作られています.
飢餓時でなくても,しかも 三度三度のメシをたっぷり食べていても,肝臓は 1日に約300gのケトン体を作っています
ケトン体がどれくらいのカロリーになるのかは ややあいまいな点があるのですが(ケトン体中,アセトンは呼気に出ていってしまいます(★)成人で 1日のカロリーの5~20%は ケトン体でまかなっていると推定されています.

(★) 『糖質制限食を行うと 臭くなる.それは 呼気にアセトンが出るからだ』というのは間違いです.アセトンは どちらかといえば爽やかな香りです.昔は肩こりの塗り薬に添加されていたこともあります. 塗った瞬間に蒸発して,スッとするからです.『臭い』と感じるとすれば,それはケトン体の内のβ-ヒドロキシ酪酸でしょう.これは極微量でも臭います.

ケトン体の構造の秘訣

もう一度ケトン体の構造を じっくりと眺めてください.

お判りでしょうか? CH2の部分は一つしかないのです.このことは『油っぽさ』(親油性)がほとんどないことを意味します. 逆に カルボン酸基(COOH)やケトン基(CO)が分子の半分以上を占めています.これは絶妙の分子構造です. こういう構造をしていることによって;

ケトン体は有機化合物なのに 水にも油にもよく溶けるのです.

つまり血液に溶けやすいので,臓器や筋肉に速やかに届きます.しかも油にも溶けやすいので脂肪の多い組織にも溶け込みます. これは人体の燃料として,どこでも速やかに使えるという利点になります.もう一つのエネルギー燃料であるグルコース(ブドウ糖)は 水溶性は高いものの,油にはまったく溶けないのと対照的です.

[4]に続く

コメント

  1. highbloodglucose より:

    肝臓でなぜケトン体が生成されるか?の説明で、「アセチルCoAに対してオキサロ酢酸が不足するからだ」というのが、どうもよく分からないんです。
    自分の持っている古い生化学の本でも、たしかに「オキサロ酢酸が不足するから」とありました。ただ、別のもう少し新しい生化学の本には、そのような記載はありませんでした。

    エネルギー源として脂肪酸をβ酸化でアセチルCoAにするのは、肝臓だけでなく筋肉など他の細胞でも同じですよね? そして、アセチルCoAはクエン酸回路に入り、ATPが産生されるのも同じ。
    このとき、いくら脂肪酸が豊富に存在していたとしても、β酸化が亢進してアセチルCoAが余ってしまうことにはならないと思うんですよ。つまり、必要とする分ずつ脂肪酸をアセチルCoAに変換するという調節がなされている。
    肝臓だけはその調節がされず、必要以上にアセチルCoAを生成してしまう。
    肝臓ではアセチルCoAが大量に余るから、オキサロ酢酸が不足するから、ケトン体が作られるのか?と言うと、それも違うような気がします。

    と言うのは、食後はグルコース由来のアセチルCoAが大量に作られると思うのですが、これはケトン体産生にはつながりませんよね? むしろ、余ったアセチルCoAから脂肪酸が合成されます。もちろん、インスリン作用によるのだと思いますが。

    もし、肝臓にオキサロ酢酸が十分存在していたとして、そこに大量にβ酸化でアセチルCoAが生成されたとしたら、どうなるでしょう? オキサロ酢酸が不足するまでどんどんクエン酸回路が回って、電子伝達系にどんどん電子が流れ、どんどんATPが作られるんでしょうか?
    そうはならず、肝臓の細胞が必要とする分のATPしか産生されないのでは?と思います。つまり、ATPを作る材料が豊富にあるからと言って無駄にATPを作り続けることはなく、どこかでネガティブフィードバックがかかる。
    肝臓で作られたATPが肝外組織に運ばれて利用されることはないですよね? ATPというのは地産地消のエネルギーだと思います。そして、大量に貯蔵できる物でもなく、細胞内のAMP(ADP)/ATP比によって、ATP産生は調節されていると思います。

    なので、わたしのイメージとしては、肝臓でケトン体が作られるのは「オキサロ酢酸が不足するから」ではなく、「肝細胞が必要とするATP産生以上にβ酸化が亢進してアセチルCoAが余るから」なんです。

    では、どうして肝臓ではネガティブフィードバックがかからずβ酸化が亢進したままになるのか?の理由ですが、脂肪酸をエネルギー源として効率よく利用するのが苦手な組織に、グルコース以外のエネルギー源を供給することじゃないかと思います。
    脂肪酸代謝が苦手な組織が何かは分からないけれど、たとえば脳は飽和脂肪酸の利用が苦手なのかもしれません。不飽和脂肪酸は積極的に血液脳関門を通過させる一方、飽和脂肪酸はあまり通過させず、通過した不飽和脂肪酸はエネルギー源ではなく生体膜の材料として利用される。そのため、通常はグルコースをメインのエネルギー源にしている。絶食などグルコースが不足するような状況では、ケトン体がエネルギー源となる、とか。
    筋肉は脂肪酸をエネルギー源として利用できるけれど、血液中にケトン体が豊富に流れていれば、積極的にエネルギー源として利用するのかも。

    ケトン体が体にとって悪い物質なのだとしたら、幾度も飢餓を乗り越えてヒトが生き延びてきたのはおかしいですよね。食べ物が入手できず飢えたときには、体内はケトーシスになっていたはずですから。
    今流行りのファスティングでも、ケトン体産生が亢進しているはず。
    ファスティングの健康効果はケトン体のおかげかもしれないですね。

    わたしが不思議に思うのは、MCTオイルやケトンエステルなどのサプリの摂取です。
    空腹時にこれらだけを摂取すれば、肝外組織では速やかにエネルギー源としてβ酸化を受けアセチルCoAとしてクエン酸回路に入る。また、肝臓ではケトン体が作られる。これは理解できます。
    では、糖質を含む一般的な食事を摂っている人が食事とともにMCTオイルを摂取したら?
    糖質摂取によりインスリンが分泌されるので、MCTオイルやケトンエステルがケトン体になるとは思えず、むしろ、エネルギー過剰であれば、アセチルCoAから脂肪酸合成にまわり、痩せるどころか太るような気がします。
    けれども、実際にはMCTオイルやケトンエステルでケトーシスは誘導されるのですよねぇ…
    この辺がどうもよく分かりません。
    生化学って、昔からわたしは苦手です〜

    • しらねのぞるば より:

      この点に関してのPuchalska博士のレビューは;

      Classically ketogenesis is viewed as a spillover pathway, in which β-oxidation-derived acetyl-CoA exceeds citrate synthase activity and/or oxaloacetate availability for condensation to form citrate. Three-carbon intermediates exhibit anti-ketogenic activity, presumably due to their ability to expand the oxaloacetate pool for acetyl-CoA consumption, but hepatic acetyl-CoA concentration alone does not determine ketogenic rate.

      というものであり,この Three-carbon intermediates が何を指しているのかが不明だったので,とりあえず『古典説』のみ書いておきました.
      ただどうなんでしょうね. 血中ケトン体濃度の上昇がすなわち ケトン体生成速度の上昇だけを意味するのでしょうか. 川下側での滞留が 見かけ上そうみえることもあるのではないかなと思います.

      >脂肪酸代謝が苦手な組織

      その逆の表現ですが,組織のMetabolic Flexibilty, つまりその時その時で 使えるエネルギー源は何でも使う,しかも使いやすいものに頻繁に切り替える という概念が注目されているようですね.