食事療法の迷走[15]マクガバン・レポートは日本食を絶賛した?(2)

マクガバン・レポートは『日本の,それも江戸時代・元禄期の日本食が理想的な食事だと結論した.』というのはデマであると書いた,この記事について;

マクガバン・レポートでは,日本の食事が心疾患の低い原因だと評価しています

というご指摘をいただいた件の続きです.

前回記事の通り,マクバガン上院特別調査委員会は,当時米国で問題になっていた肥満と心疾患死の増大は,脂質,とりわけ肉類に含まれる飽和脂肪酸が原因であると信じて,それを立証すべく多数の医学・栄養学文献をエビデンスとして集めました.

しかし,それらは すべて飽和脂肪酸=心疾患死原因説を補強するための参考文献ですから,当然ながら 調査委員会の最終報告書本文では取り上げておりません.

マクガバン・レポート原文

マクガバン・レポートと呼ばれるものは,米国議会アーカイブに保存されている次の2つです.

マクガバン・レポート 第1版
(1977年2月)
マクガバン・レポート 第2版
(1977年12月)

第1版では,日本に言及なし

まず,最初の第1版レポート原文で,『Japan』又は『Japanese』という単語が使われているかどうかを検索してみましたが;

結果はゼロ

「日本」という言葉は,まったく登場しません.

第2版では,3箇所で

レポートの第1版が1977年2月に議会に提出されると,国内の多くの関係者,しかも医学界からも多くの異論・反論が続出したため,あらためて公聴会が開かれました.そこでの証人証言を検討した上で,最終的に出されたものが第2版です.そこで 最終報告である第2版の本文を 同様に検索すると,第2版では次の3か所に登場していました.

マクガバン・レポート 第2版
Preface XXVIII

日本から合衆国に移民した日本人が,動物性脂質がほとんどない彼らの伝統食から西欧の食事に代わると,乳癌及び大腸癌の発症率が劇的に増加している.

マクガバン・レポート 第2版
Preface XXIX

この病気(=乳癌)は日本ではまれな病気だが,やはり米国に移民すると増加している. 脂質とコレステロール摂取の少ないプエルトリコ人においても,大腸癌と同様に乳癌の発症率は低い.

いずれも レポートの本文ではなく,その序文(Preface)です.この年の2月にレポートの第1版では『肉食・脂質摂取と癌・心疾患は相関していると記載した』ことを要約したものです.そこで,レポートの本文を検索すると,1か所だけ日本に言及していました.

マクガバン・レポート 第2版
本文 p.38

日本や(南米の)チリでは,肉の消費が少ないが,これらの国では大腸癌の発生率が低い.

『マクガバン・レポートが伝統的日本食が理想の食事だと絶賛した』と書いてある本の著者は,おそらくこれらの文章を見てそう思ったのかもしれません.
しかし,レポート原文を読めば,ここで日本を引き合いに出したのは,脂質と癌が相関していることの例証としてあげただけにすぎないことがわかります. その証拠に,2番目の文章では,日本の例(赤線部)に続けて,『大腸癌と同様に,プエルトリコでは乳癌の発症率が低いが,かれらの食事では,コレステロールと脂質の摂取が少ない』とも書いています(緑線部).さらに 3番目の文章では.日本とチリとを同列に引用しています.

マクガバン・レポートが日本伝統食を絶賛したというのなら,

プエルトリコや南米のチリの食事も同様に絶賛したことになってしまいます

日本を引き合いに出したのは,マクガバン・レポートが 『高脂質が心疾患など多くの米国成人病の原因だ』という主張を補強するためのデータとして使ったのに過ぎないのです. 日本やチリ・プエルトリコの食事を見習うべきだとは書いていません.そのことは,マクガバン・レポート本文に添付された付属文書を見れば 更に明らかになります.

[16]に続く

コメント

  1. 中嶋一雄 より:

    【参考論文】

    マクガバン・レポートと日本における食の「近代化」の内発的契機
    info:doi/10.24729/00004387

    戸川 律子。大阪府立大学/人文学論集. 2012, 30, p.41-62

    • しらねのぞるば より:

      中嶋 先生;

      ありがとうございます.
      こういう文献があったのですね. 医学誌ではないので,検索にかかってきませんでした.
      この戸川さんの論文を読むと,ここまで私が書き連ねてきたことと ほぼ同様の考察がみごとに整理されています.
      特に冒頭の;

      『ところが,大変奇妙なことに,現在に至るまで,同レポート[=マクガバン・レポート]そのものの詳細な分析はまったく行われてこなかったのである. しかし同テキストの精密な分析なしに.どうしてそこに示された研究成果を本当に受容することができるだろうか』

      これこそが,私がこのシリーズで訴えたかったことです.