先月 『化学物質としてのメトホルミン』という記事で,メトホルミンに代表されるビグアナイド化合物は,その特異な還元性から 糖尿病薬に限らず,多くの有用な薬剤の骨格になっていることを示しました.
メトホルミンに強力な後輩が
そのメトホルミンと同じビグアナイド骨格を持つ,イメグリミン (Imeglimin)という糖尿病薬がもうすぐ登場しそうです.しかも おそらく日本での登場が世界で一番早いでしょう. 実用化間近の 第3相 臨床試験が日本で始まったからです.
イメグリミンの顔
メトホルミンと非常によく似た構造で,メトホルミンを環状にしたような形をしています.
メトホルミンのしぶとさの秘訣
メトホルミンは非常に不思議な化学物質で,強い還元性を示すにもかかわらず,生体内では非常に安定です.
通常アンチエイジングサプリの成分として使われる カロテノイド,ポリフェノール,トコフェロールなどの抗酸化性化合物は,体内に生じた活性化酸素と速やかに結合して無害化できる性質=還元性 があります.つまりメトホルミンと同じです.しかし,それらの化合物は,いったん反応すれば 自らも分解されてそれでおしまいです.
ところがメトホルミンは強い還元性があるにもかかわらず,実に安定なのです.実際 メトホルミン自体は,人体内で分解されず,数時間経つとそのままの形で 何事もなかったかのように腎臓経由で尿に排出されてしまいます. この強還元性と化学的安定性とが両立している理由の一つは,分子全体に (共役)π電子雲が広がっているためです.
一般に 強い還元性を示す化学物質は,π電子と呼ばれる,動きやすい電子を分子中に持っていますが,そのπ電子密度の濃いところは,すぐにプロトン(H+)の攻撃を受けて酸化されてしまいます. 身近な例では,不飽和脂肪酸(=これも不飽和結合にπ電子を持つ)は,空気中に放置しておくと酸化・劣化してしまいます.
ところが,メトホルミンのπ電子は分子全体に広がっていて,攻撃の的を絞らせません.
更にメトホルミンは 『互変異性体』(tautomer)と呼ばれる,ごくわずか違う構造に簡単に変化できます. 変わり身が早く,Aかと思えばB,かと思えばCになっているという具合で,まるで言い逃れだけはうまい しらねのぞるばのようです.
π電子雲が分子全体に広く分布しており,しかも 互変異性体が多い,こういう化合物は『基底エネルギー状態が低い』,すなわち化学的に安定になります.還元性と安定性が両立しているメトホルミンのしぶとさの源泉です.
メトホルミンより強力そう
もうおわかりかと思います. 新顔のイメグリミンはメトホルミンをもう一回り強力にしたような,還元性と安定性とを兼ね備えているのです.
もちろん広い意味でのビグアナイド系 薬ですから,その効果も同等以上と期待できます.
実際 その効果と安全性も確認されつつあります.
しかもメトホルミンにみられなかった効果として.高血糖状態で膵臓β細胞を保護する作用もあるのではないかと言われています.
SGLT2阻害剤は,どちらかと言えば インスリン抵抗性が主体の肥満型糖尿病薬としては有効でも,痩せ型の人にはあまり有効でないのに比べ,このイメグリミンは肥満・痩せ型 どちらにも 第一選択薬になる可能性があると思います. 久々の大型新人です.
しかも 実用化までに さほど時間はかからないでしょう. 懸念点があるとすれば,臨床第3相試験中に何らかの許容できない副作用が見つかることぐらいです(=新薬が頓挫するのは ほとんどがこのケース). ただその場合でも,メトホルミンがそうだったように,何らかの化学修飾(置換基を付け替えてみる)で挑戦は続けられると思います.
コメント
最近ここに到達しまして、大変興味深い内容だなあと感心しております。
メトホルミン、いまでは糖尿の第一選択ですね。それを上回るとは!乳酸の問題がなければ尚いいですね。
ちょっと相談ですが…家族が耐糖能異常でメトホルミンの服用を始めましたが、体感がないため効果が出ているのか分からず、食も細くなってしまっています。実際のところ、食後高血糖への効果は期待できるのでしょうか?
インスリン自体はやや遅めの分泌ながらもそれなりに出ているのですが、麺と温かいご飯には反応しない?のか、食物繊維➕80gの白米でも200を超えたりします。しかも2時間経っても180以上から下がらない事もありました。負荷試験とパンは比較的上がりにくいのですが…。別の医院では、「ボクリボーズの方がいいのでは?」と言われたり…。
お早うございます.
メトホルミンは,肝臓の糖新生を抑制するのが主効果なので,食後の急峻な血糖値上昇を抑える効果は(少なくとも短期的には)ありません. ですので,対症療法としては,ボグリボース,アカルボースなどのα-グルコシダーゼ阻害薬が適切でしょうね.ただし,消化器系統の副作用(膨満感,放屁など)は,かなりの確率で出るようです.
ただ,メトホルミンの作用にはインスリン抵抗性改善もありますから,現在 肥満気味であれば,数か月の服用でインスリンの効きがよくなり 結果として食後高血糖が改善することは十分ありえると思います.
なお,6月3日の【[学会情報] メトホルミンは食後血糖値も抑えてくれる?】
https://shiranenozorba.com/2019_06_03_case-study-metformin/
の記事は,「メトホルミンには,食後血糖値改善に即効性はない」という通例に対して,あまりにも例外的な症例だったので学会発表の価値ありとなったのでしょう.
ありがとうございます。
患者はまだ若く、肥満はないです。運動量も多い方だと思います。食生活も悪くはないと思います。
内分泌専門の内科でボクリボーズを勧められたのですが、メインで通っている糖尿専門医院ではメトホルミンが処方され、「なんか吸収を遅くする薬もあるみたいですけど〜それはどんなんですか?」と聞いたところ、「最後に血糖値が上がるんだよね〜」と。
患者本人としては、とりあえず食後高血糖を抑えたいという思いなんですがね。
興味深い記事、ありがとうございます。ボクリボーズで、最後に上がる?というのがないなら、毎食後とはいかなくても、メトホルミンとボクリボーズの併用でいきたいのが本音ですね。
ボグリボースではないのですが,同じα-グルコシダーゼ阻害薬で,ミグリトールという薬を試してみたことがあります. 食後1時間の血糖値は,ほとんど食前と変わらない値で,「おおっ!? これはすばらしい!」と感激したら,2時間後には爆上がりしてました. 単にピークをずらすだけだったのですね. 「最後に血糖値が上がる」とは,このことだと思います.
2時間後に爆上がり…
1時間後にほどよく上がり、2時間後はやや高めくらいで落ち着いてくれたらいいのに。
お医者さんが言ってたのはそういう事のようですね。
はじめまして。イメグリンの分子構造を見て、ポーリングが最後に書き残した分子構造に似ていると思い、なぜだろうかと感じでいました。ポーリングは生化学にも詳しかったので、
解けるか?ポーリングが残した謎の分子
http://www.sci-museum.kita.osaka.jp/news/text/2000/c001029.html
帰省中でしたので,コメントをチェックするのが遅れておりました.
ポーリングという名を聞くと,一挙に 頭の中がタイムスリップして工学部化学系学生に戻りました.
ポーリングの逸話はたくさんありますが,この話は知りませんでした.
たしかに ポーリングは,この化合物の生活性を意識していたのでしょう.
分子全体に広がる共役系から,安定で かつ 強い還元性物質ですね. しかも頂点のトリアジド基と左右に付けた水酸基が更にそれを強化しています.
ポーリングは生体をRedox系であると考えていたようですが,だからこそこういう化合物を思いついたのだと思います.