昨年9月の『糖尿病診療ガイドライン 2019』の発行以来,もっとも大きな出来事は,
『糖尿病治療ガイド 2020-2021』において,つまり日本糖尿病学会が公式に発行する文書において はじめて『炭水化物 40%』という言葉が出たこと
そして,6月28日に 日本糖尿病学会の理事長が 門脇孝先生から植木浩二郎先生に交代した こと,
この2つでしょう.
これらの出来事は,長らく続いてきた日本糖尿病学会のかたくなな姿勢が変化する予兆かもしれません.
その今後の方向を示唆する座談会記事があります.
Diabetes Strategy
糖尿病専門 医学誌は多数ありますが,その一つである Diabetes Strategy の最新号に 興味深い座談会記事が掲載されました.
当ブログは,営利広告はいっさい掲載しないことをポリシーとしていますが この号だけは強くお勧めします.
全50頁というペラペラの雑誌なのに,その内15頁を占めているのが下記 4先生の座談会記事です.
表紙の特集副題の『本気のdiscussion』は誇張ではありません. 座談会ではなく,本当につかみ合いでもやったのではないかと思う程,厳しいやりとりが掲載されています.
主治医が学会のガイドラインに拘泥していて うんざりしている方,糖尿病の食事療法はいつになったら変わるんだと憤慨しておられる方は,税込み1,980円はたしかに安くはないものの,一読の価値はあると思います.
本来なら この座談会記事全文を掲載したいところですが,著作権上 不可能ですので,この座談会記事が なぜ画期的なのかおわかりいただける箇所を要約します.
座談会の出席者は
宇都宮 一典 慈恵医大 教授
山田 悟 北里研究所病院 内分泌・代謝内科部長
荒木 厚 東京都健康長寿医療センター 副院長
司会:
植木浩二郎 国立国際医療研究センター研究所 糖尿病研究センター長
という顔ぶれです. 他に 3名のコメンテーターが出席していました.
司会者とはいえ
まず 司会の植木浩二郎先生に注目です.この時点では まだ日本糖尿病学会の 理事でしたが,冒頭に書いたように,6月には日本糖尿学会の新理事長に就任しました. つまり,今後の学会の方向を決めることになる最高責任者の考えがうかがわれます.
カロリーか糖質か
そして 慈恵医大の宇都宮先生は,長らく 学会の食事療法を統括されてこられた方です. 昨年5月 仙台での第62回 日本糖尿学会(FS5-1)で,診療ガイドライン2019の概要を説明したのも 宇都宮先生でした.
北里大学の 山田先生は,本ブログのこの連載でも何度も紹介してきました. 糖尿病学会の外からではなく,学術評議員として学会の内部から 一貫して糖質制限食の必要性を訴え続けてきました.
荒木先生は,複雑で困難な高齢者糖尿病治療の専門家です.
この顔ぶれなので,当然 昨年9月に発行された『糖尿病診療ガイドライン 2019』(= 座談会記事では 『JDS2019』と略記)の『個別化された食事療法』はどうあるべきなのかということが話題の中心になりました.
そのやりとりの概要は以下の通りです. ただし,これは記事を読んで,私が受けた印象ですから,正確には ぜひとも座談会の記事原文をぜひお読みください. 実際には 相当キツい言葉で応酬しています.
つまり,宇都宮先生は『食事療法とは,医師が患者に食事の摂取カロリーを設定し,患者にそれを守らせることである. ただし そのカロリー設定は個別化して柔軟にしてもよい』という考えなのに対して,
『カロリーが減ったか 体重が 減ったかというのは,食事療法の効果を判定する出口の話にすぎない. 食事療法の入り口を一つの考え(=カロリー制限食)に固定するのではなく,糖質制限食や地中海食も選択肢とすべきである』が 北里大 山田先生の主張です.
当然 二人の主張はかみ合わず,最後まで そのままでした. この座談会は 決して 和やかなものではなく 合意はなかったのです.
なお,荒木先生は,高齢者医療は 一人ひとりまるで様相が異なるので,都度患者を診て決めるしかないという考えでした.
重要な発言
ところで,この座談会記事で 個人的にはもっとも注目したのは,上記のバトルよりも,むしろ司会の植木先生が随所で発言されたこの内容です.
- 一方で国外に目を向けると,ADA/EASDのコンセンサスレポートは2019年7月31日更新の時点で,糖質制限食は最もエビデンスが多い食事療法と述べています.
- 糖尿病腎症合同委員会でも,腎臓専門医の先生方からたんぱく制限を行うべきという意見はありません.
- 治療ガイドは,少なくとも(ぞるば注:糖尿病専門医だけでなく)非専門医も含む多くの医療者が参照するのだから,さまざまな食事療法が存在することを示していくべきだと考えています.
内容としては当たり前です. これが江部先生やドクターシミズの発言ならば,何も不思議ではありません.しかしこれは 日本糖尿病学会の植木 新理事長の,しかもオフレコ発言ではなく,マイナーとはいえ 医学誌の文書に残した発言なのです.
しかも植木先生は 言葉だけでなく,既に その考えを実行に移しています. この記事で紹介した『糖尿病治療ガイド 2020-2021』には,
- 炭水化物比率は 40~60% もありえる
- 食品交換表を使わない食事療法もありえる
と書かれていることを紹介しましたが,この治療ガイドの編集委員の名簿を見ると;
植木先生が委員長なのです(赤線).そして 現在の食品交換表編集委員長は綿田先生です(青線).
つまり,この『治療ガイド 2020-2021』こそが現時点での学会の方向であり,それは 次の食品交換表 改訂にも反映されると思われます. 実際 綿田先生は,この記事にも書いたように,
食品交換表は,初版の前書きでは「手軽に使えること」とあったのだが,版を重ねるにつれて,完璧をめざすあまり複雑になりすぎた.今後は初心に立ち返りたい
第22回 日本病態栄養学会年次学術集会(2019年) ランチョンセミナーにて
綿田 裕孝
とも述べておられる方なのですから.
5月12日に開始した,この『食事療法の迷走』シリーズは,実に長い長い長い長い長い…(誰か 止めんかいっ!)ものでしたが,敗戦直後の1947年から始めて,ようやく2020年の本日の時点までたどりつきました.
最後に しらねのぞるばの感想を述べて,本シリーズを終えたいと思います.
[58 完]に続く
コメント
>この号だけは強くお勧めします.
はい、お勧めされて注文してしまいましたw
アマゾンで見当たらなかったので、出版元のWEBサイトから注文しました。送料がかかりましたがw
>本シリーズを終えたいと思います.
長いシリーズ、お疲れさまでした。最後の総括を楽しみにしております。
糖尿病治療に関わる内情、経緯がよくわかりました。
どこの世界も「権威」が牛耳るのは同じですね。そして一度、間違った方向に向いてしまうと修正には多大なエネルギーを要する事も。
特に医師の世界には、この「権威」を重んじる(いや、振りかざす)風潮が強く、立場が上になればなるほどその傾向が強くなるように思います。
私が信用する医師は、分からない事をはっきり分からないと言ってくれる医師、そして一緒に考えてくれる医師だと常々思っています。
北里大学 山田先生の学会での講演を始めて聴いた時は驚きました. 猛烈なスピードで次々と 文献のパワポスライドを繰り出して,まるでサブリミナルw 『秒速3枚』は誇張ではありません. それでも必至に文献の著者・誌名・発行年だけを 走り書きでメモしておきましたが,今になってそれが役立っています.
記事の文面をご覧になればわかると思いますが,おそらく この座談会でも 山田先生は 膨大なエビデンスを突き付けながら話したと想像されます.