食事療法の迷走[19] それでいいのか,ADA?

米国糖尿病学会(ADA)が1979年に発行した糖尿病食事療法ガイドラインで,根拠を明示せずに『一般論として脂質を控えた方がよい』と書いたことに,当然ながら 【異議あり!】が続出しました.
そのもっとも強烈な例がこれです.

欧州糖尿病学会誌 Diabetologia

異議を唱えたのは,欧州糖尿病学会誌 DiabetologiaのReaven編集長(スタンフォード大学教授)でした. Reaven教授は,後に糖尿病の初期にはインスリン分泌がむしろ亢進して正常血糖値を保つが,膵臓がそれに耐えきれなくなったときに糖尿病を発症する『インスリン抵抗性糖尿病』を解明し,更にインスリン抵抗性が糖尿病だけでなく多くの疾患に関与するとして Syndrome X(=後のメタボリック症候群)を提唱した人です.

Diabetologia 19,409-413(1980)

Reaven編集長は,わざわざEditorial Noteを寄稿して,こう述べています.

This trend has received official sanction from the recent Special Report of the American Diabetes Association’s Committee on Food and Nutrition [1], which states that dietary carbohydrate intake for insulin-dependent diabetics[IDDM] “should usually account for 50-60% of total energy intake.” It should be emphasized that no specific suggestions were made concerning the appropriate amount of carbohydrate to be included in the diet of the insulin-independent diabetic{NIDM]. In spite of the fact that no comments were made concerning amount of dietary carbohydrate in this largest group of diabetic patients, it is my perception that many physicians view the Committee’s report as license to increase dietary carbohydrate intake in all diabetics.
(一般に脂質を減らすべきという)この傾向は、IDDM(=1型糖尿病患者)の食物炭水化物摂取が「総エネルギー摂取量の50〜60%を占めるべきだ」としたADAの最近のガイドラインで公式化されている.しかしながら糖尿病の大多数を占めるNIDM(=2型糖尿病患者)については,炭水化物の適切な量に関して特段の提案はなかったことがもっと強調されるべきだ.それにもかかわらず多くの医師が『ADAのガイドラインはすべての糖尿病患者の食事の炭水化物摂取量を増やす』許可を出したと受け止めていることが問題だ.

GM Reaven

頭から湯気を立てて(かどうかは不明ですが)怒ってますね.

たしかにこの時代には,Himsworthの論文で,『糖質を沢山摂った方が耐糖能が良くなった』などという文献 がまだ幅を利かせていましたし(★),とにかく高糖質食にしておけば安全だと思った医師も多かったのでしょう(高脂質食が心疾患を増やすと言われればなおさら).

(★)Himsworthの時代(1930年代)には,インスリンの存在と作用は知られていました. そして糖尿病とは,原因不明の理由によりインスリンが分泌されなくなった病気だというのが 当時の一般的概念でした. ところがHimworthは患者にインスリンを注射した場合,耐糖能が改善する患者と,変化が見られない患者との2種類があることに気づきました. Himsworthは,前者をInsulin-Sensitive Diabtes(インスリンに応答する糖尿病)[注1],後者をInsulin-InSensitive Diabtes(インスリンに応答しない糖尿病)と呼びました.この2種の違いは,現在の言葉で言えば,『インスリン分泌不全型+1型糖尿病』と『インスリン抵抗性型2型糖尿病』のことです. しかし,当時はインスリンの血中濃度を測定する手段がなかった[注2]ので,なぜこのように2種類の糖尿病が存在するのか.Himsworthは説明できませんでした.

[注1] ですからこの『インスリン感受性』は,現在使われている言葉とは意味が違います.Himsworthは,インスリンを注射すると耐糖能に改善が見られる患者のことをを『インスリン投与に応答する』という意味で『インスリン感受性』と呼んだのです.
[注2]血液中のごく微量のインスリンを正確に測定できるようになったのは,1960年 ImmunoAssay法が確立されてからです.

そして Reaven編集長はここでも科学に帰れと主張します.

Thus, “in the case of the sensitive diabetic increase of the carbohydrate content of the diet causes no increase in glycosuria, no rise in the fasting blood sugar level, but produces improvement of sugar tolerance and of sensitivity to insulin.
したがって,Insulin-Sensitiveな糖尿病患者では,食事の炭水化物含有量を増加させても,(インスリンさえ注射しておけば)尿糖の増加や空腹時血糖値の上昇もみられない.
In the case of the insensitive diabetic increase of dietary carbohydrate causes increase in glycosuria, a tendency to high fasting blood sugar levels, impairment of sugar tolerance and little or possibly no increase in sensitivity to insulin.”
一方で,Insulin-InSensitive糖尿病患者では,食物性炭水化物の増加は,尿糖や,空腹時血糖値,耐糖能障害が増加・上昇し,改善はほとんどあるいはまったく期待できない

GM Reaven

現在と違って,当時の糖尿病治療手段は,インスリンかスルホニル尿素(SU)剤しかなかったのです.したがって,Reaven博士の主張は,Himsworthも認めているように,糖尿病の病態・メカニズムには2種類が存在しているのだから,[現在の用語でいえば]インスリンでバランスの取れる1型糖尿病などの患者なら,高糖質・低脂質(もちろん低カロリーの)食事で(減量が達成されるなら)効果があるだろうが,

Thus, these responses seem to parallel the effects noted by Himsworth and Kerr [7]. On the other hand, the 85% carbohydrate diet did lead to a significant fall (mean — 22 mg/dl) in fasting plasma glucose concentration of 9 similar patients studied while they were maintained on either insulin or sulfonylurea therapy.

したがって,これらの応答は,HimsworthとKerrによって指摘された効果と類似しているようです[7].一方,85%炭水化物食は,インスリンまたはスルホニル尿素療法のいずれかで維持されていた9人の同様の患者の空腹時血漿グルコース濃度の有意な低下(平均-22 mg / dl)をもたらしました.

GM Reaven

しかしインスリン抵抗性の高い患者に対して,血糖値を更に上げてしまう高糖質食を与えるのは尿糖の増加・病状の悪化を招くだけだと警告したのです.なので,ADAの1979年ガイドラインは,高糖質食を1型糖尿病(IDDM)だけに限定したのは実に賢明だと表明しています.

In conclusion, I believe that the omission of any suggestion by the ADA Committee on Food and Nutrition to increase dietary carbohydrate to 60% in non-insulin dependent diabetics was prudent, and I intend to follow their advice in this instance.
結論として、インスリン非依存型糖尿病患者(NIDDM)に対しては,食物炭水化物を60%に増やすとは提案しないというADAの見解は賢明であると私は信じており、この場合は彼らの助言に従うつもりです。

GM Reaven

最後に,糖尿病=全員高糖質食と一律に適用するのは危険であり,まず厳密な臨床試験でデータを得るべきだと述べています.

I believe that recommendations leading to major modifications in the kind and amount of carbohydrate and fat in the diabetic diet must be based upon sound experimental data. It is obvious that I have considerable doubts that this criterion has been met in the case of the use of high carbohydrate diets in the treatment of diabetes.
私は、糖尿病食における炭水化物と脂肪の種類と量の大幅な変更につながる推奨事項は、適切な実験データに基づかなければならないと考えています。糖尿病の治療に高炭水化物食を使用することが、果たしてこの基準に適合しているのか かなり疑わしいです。

GM Reaven

“How High The Carbohydrate?”という,この寄稿のタイトルは,いったい,十分なデータも考察もないままに,『どこまで炭水化物を増やすつもりなんだ?』という意味なのでしょう.

How High The Moon

とろで,このEditorial の題名”How High The Carbohydrate?”は,もちろん米国人なら誰でも知っている,大ヒット曲 “How High The Moon”をもじったものです.

How High The Moon

医学誌でありながら,Reaven教授は ウケも狙っていて 関西人とは一脈通じるところがあります.
作詞:Nancy Hamilton/作曲:Morgan Lewis のこのJazzの名曲は,Mary FordとLes Paulの演奏(1951年)で大ヒットし,後に多くのアーティストがカバーしています.

You Tubeはこちら

1970~1980年代の米国の動きを振り返ってきましたが,話は再び日本に戻ります.

[20]に続く

コメント

  1. ちょこ より:

    初めまして。
    今年2月に75g糖負荷検査を受け2時間後血糖値が200を超えてしまい、糖尿病の診断を受けた痩せ型の女性です。
    その際のヘモグロビンA1cは5.7でした。
    2月の時点では空腹時血糖値は90~100の値だったのですが、今現在は110位となり数ヶ月で上昇してしまいかなり悩んでいます。
    食事は1年前位から糖質量を緩く押さえたロカボ(130g以内)を取るようにしています。
    1年前から比べると体重も落ちました。

    また、朝食後と夕食後には有酸素運動をしていて、血糖値のことはかなり気にして生活をしている毎日なのですが…。
    なにかアドバイスをいただければ幸いです。

    • しらねのぞるば より:

      ちょこ 様;

      本ブログにご注目ありがとうございます.

      >2時間後血糖値が200を超えてしまい

      多分私も 今糖負荷試験を受けたら200を越える可能性は高いです.

      >今年2月に75g糖負荷検査を受け

      糖負荷試験を受けなさいと言われた理由は,健康診断などでHbA1c又は空腹時血糖値が高いと指摘されたからでしょうか?

      >今現在は110位となり

      ということは,現在SMBGで血糖値が測定できるのでしょうか?
      そうであれば,しばらくの間は 空腹時だけでなく,食後の血糖値,特に これは糖質が多そうだなと思うものを食べた時には食後1時間と2時間の血糖値を測ったほうがいいと思います.
      もちろん 毎日・毎食である必要はありません. 自分の1日の血糖値変化パターンを把握するためです.そしてもし食後の血糖値変動があまりにも激しいようであれば,それを緩やかにする方法を見つける必要があります.

      下記の記事などもご参照願います.

      10点スタガー測定です
      https://shiranenozorba.com/2020_03_08_average-blood-glucose-2019/

      糖質制限で血糖値プロファイルは変化するか
      https://shiranenozorba.com/2019_03_12_change-profile/

      >1年前から比べると体重も落ちました

      元来がやせ型なのですから,体重を落とさないようにカロリーは努めて増やす必要がありますね.ただ糖質は増やせないので,蛋白質・脂質を増やしてカロリーを稼ぐしかないですが,肉類ではなく,魚や植物性の蛋白質・脂質を増やしてはいかがでしょうか? 私は 大豆パンと刺身はほぼ毎日食べています.

      >朝食後と夕食後には有酸素運動を

      食後血糖値の抑制には有酸素運動もいいのですが,体重を減らさないためには (可能であれば)むしろスクワットなどで足腰の筋肉を強化してはいかがでしょうか?

      これまでの経緯が不明なのですが,過去の健康診断結果をお持ちであれば.これらの記事に書いた項目もチェックしてみてください. いつからどのように兆候があったのかがわかるからです.

      肝機能指標と糖尿病[6]~ぞるば個人の例~
      https://shiranenozorba.com/2019_11_15_hepatic-index-vs-diabetes6/

      SPISEとは
      https://shiranenozorba.com/2019_06_11_ins-sensitivity-2/

      ご質問はお気軽にお寄せください.
      また『お問い合わせ』経由であれば 直接私宛のメールになりますから,非公開も可能です.

  2. すぱ郎 より:

    こんにちは。
     1979年には、すでに本質を見つめた理性的な考えがあったのに、なぜ現代はこんなにも迷走しているのでしょうか。
    現代の糖尿病医療は、ただモニターの数字を見て、マニュアルに沿って血糖値を下げる薬を処方するだけのあまり考えない先生が多いような気がします。
    インスリン抵抗性の患者もβ細胞減少の患者も一緒くた。
     日本は、糖尿病について深く考えを巡らせる先生達が駆逐されてしまったようで悲しい気持ちがするのです。 (´・ω・`)

    • しらねのぞるば より:

      このシリーズのタイトルを『日本の食事療法の迷走』ではなくて,『食事療法の迷走』としたのは,日本も米国も迷走してきたから,というつもりでした.
      ただ違うのは,米国の場合は 科学的・合理的であろうとして結果として大きくぶれてしまったのに対して,日本の場合は,科学的以外の要素,すなわち非科学的観点まで加わって 不思議な迷走をしたという差があるように思います.食品交換表第5版より前の時点までは,日本の学会もかなり冷静だったのですが,第5版から急におかしくなってしまったのではないでしょうか.
      そして,そのおかしくなった時点で 現役第一線だった人たちが,現在では学会の長老であり,『食事療法の個別化』に反対していると推測しています. 『俺たちの輝かしい過去の業績を否定するのか?』などとね. ただもう少し経てば 世代が一つ進みます. 学会の討論などを聞いていると,次の世代の先生方は かなり柔軟な考えを持っていると感じます.

  3. 西村 典彦 より:

    >『糖質を沢山摂った方が耐糖能が良くなった』

    経験上、これはあり得ますが、それは方便に近い状態です。
    どういう事かと言うと、糖質1gに付き、血糖値がいくら上昇するかと言うのが耐糖能ですが、例えば、

    5gの糖質で10mg上昇した
    50gの糖質で80mg上昇した

    と言うのを比べた場合、50g摂取した方が耐糖能は良い事になりますが、血糖値の絶対値は当然50g摂取した方が高くなります。尿糖として排泄された結果、見かけ上、良くなったのかもしれません。
    耐糖能と食後ピーク血糖値のどちらを重視すべきかと考えれば、食後ピーク血糖値を重視すべきではないでしょうか。
    耐糖能は、長期の記録で状態の改善、悪化を判断する材料にはなり得るかもしれません(ただし、経験上は不明))が、毎食、日々の判断材料にはなりません。
    さらには、糖質制限では、耐糖能は一過性に悪くなります。これを以って、糖質制限は、糖尿病を悪化させると言うのもナンセンスです。
    あくまでも一過性であり、やめれば元に戻ります。したがって75gOGTTの前、3日間は150g以上の糖質を摂るようにガイドラインにも記載されています。

    • しらねのぞるば より:

      Himsworthの論文は,『糖尿病患者はインスリンを注射している』という前提のもとに,インスリン注射がよく効く人なら 糖質を摂った方が制御しやすい,という当たり前のことを書いていたにすぎないのに,これを 故意または無知 どちらかの理由で,『糖質を沢山食べれば糖尿病がよくなることをHimsworthが証明した』などと言う人がいます(信じがたいことに 専門医でも).