食事療法の迷走[13]マクガバン・レポートの実際2

マクガバン議員が,当時の米国人の平均的な食事から見れば,『大幅に脂質を減らして,糖質の摂取を増やす』よう提案した,その動機は何だったのでしょうか?
それは当時 議員(及びそのスタッフ)の手元に集まった資料を見れば明らかです.
おそらく議員はこのグラフを見ていたでしょう.

Leading Cause of Death
(C) CDC

猛烈な勢いで,心疾患が増えていたのです. 第二次世界大戦後の米国では.抗生物質の普及などで,結核や肺炎などの感染症は激減したため,この心疾患の増加はなおさら目立ちました.なお,米国人の死因の1位は現在に至ってもなお心疾患です.


一方 貧困層の食事状況を調べてきたマクガバン議員は,当時の米国全体の食事内容調査のデータを豊富に持っていました.第二次世界大戦が終了して以降,米国人の肉の消費は増え続けていました. この食事傾向と心疾患死亡率の上昇とを結びつけたわけです.

もちろん,単純な推測ではなく,多数の医師・栄養学者に意見を求めています.その結果;

  • 食事に占める脂質割合が高い人には肥満が多い
  • 肥満者の血中コレステロールは高い傾向にある
  • 血中コレステロールが高いと心疾患リスクが高い

これらを示すデータを多数集めたうえで,

よって 心疾患増加の原因は食事中の脂質である.

という結論に至ったのです. これが 報告書において,6つの食事標 としてまとめられました.
しかし,マクガバン特別調査委員会が1977年2月に最初の報告を提出するや 直ちに,畜産業界,一部の科学者,そして(意外にも)医師団体から猛烈な反発がありました.

畜産業界は当然として,なぜ当時の米国医学界は反対したのでしょうか?

医師の反対理由

医師が反対したのは,

『食事の栄養素比率を全米国民に一律に適用するのは科学的ではない. それは,患者を見た医師が個々に判断すべきことだ. 診断もせずに患者の顔も見ずに,機械的に決めてしまっていいわけがない』

という理由でした. 今でいう『食事療法は個別化されているべき』という考えは当時からあったのです. また一般に米国人は,特にインテリ層は『全国民が一律に』という概念は「社会主義的=共産主義」としておぞましいものと考える風潮もあったからでしょう.

公聴会での応酬

あまりにも反発が強いので,マクガバン委員会は,それぞれの反対者が推薦する証人を呼んで公聴会を開くことになりました. 現在でも米国議会の公聴会と言えば,大企業のトップをのきなみ呼びつけて議員が吊るし上げるというイメージが強いですが,この場合は 息まいていたのは議員側ではなく,証人側でした.

公聴会に出席した国立心肺血液研究所のRobert Levy所長は,委員会が提出した膨大な疫学データをつぶさに検討した上で,こう述べています.

この膨大な疫学データを見ると,[血中]コレステロールの上昇が心臓発作のリスクを増加させていることに疑いの余地はありません.
私たち医師は,コレステロールがほとんどの患者の食事療法や薬物療法によって低下する可能性があることも疑いません.
しかしながら,コレステロールを下げると心臓発作の発生率が低下するかどうかは,臨床試験では証明されていないという問題があります.それはまだ推定にすぎないのです.
状況証拠は非常に多くありますが,臨床試験においては,治療群で心臓発作または死亡率に差が見られていないのです.

Robert Levy
National Heart Lung and Blood Institute director

この証言に対して,マクガバン議員と証人とで息詰まるようなやりとりが行われたことが記録されています.

マクガバン上院議員:
レヴィ博士,あなたが真摯であることに一点の疑いも持っていません. 適切な食事を摂るようにすれば,薬物を用いることなく,我が国での心臓発作の発生率を減らすこと,そして合衆国国民の多くで高血圧を減らすことができると考えますか?

レビー博士:
個人的には,公衆衛生の専門家として,私は議員のコメントに完全に同意します.一方で 疑問が存在するのは,平均的なアメリカ人の食事中のコレステロールの特定の低下,飽和脂肪の量の変更が心臓発作を防ぐかどうかです. したがって,我々は,つまり国立心肺血液研究所は,大規模な健康キャンペーンを実施すれば 最終的な証拠を取得できるだろうと約束いたします.

さらに 1977年3月24日の公聴会では委員会が提出したエビデンスについても,激しい応酬がありました,
委員会側は,オスロ大学が行った世界の209人の栄養学専門家を対象にしたアンケート調査(=【オスロ調査】)の結果を根拠として,食事と心疾患(冠動脈疾患)の関係が証明された,としていたのですが,この調査が論点となりました.

マクガバン上院議員:
【オスロ調査】では,当委員会が収集したこれらのエビデンスについて,国際調査に参加した209人の医師のうち,91.9%が,「食事と冠動脈疾患との関係は明らかになっているか」という問いに「はい」と答えています.そして食事の変更を行うべき優先順位についても(1)総カロリーの減少,(2)脂肪の減少,(3)飽和脂肪の減少,(4)コレステロールの減少 だと答えているのです.
このように,医師のほぼ92%が,我々の委員会が提示した証拠を支持していることをどう考えますか?

アーレンス博士:
上院議員,私はこれについて述べてきたように,自分が少数派であることは認識しています.しかしながら,私は科学者として,科学で一番難しいことは,十分な証明を得ることだと思っています. 本件には 科学的な証明はまだ存在しないのです. 【オスロ調査】に参加した209人の構成をご覧ください.この長い参加者名簿の中で,人間の脂質栄養または脂肪代謝の分野で実験をしたのはたった47人なのです. それ以外の人は,人間または動物のいずれかで,脂肪摂食実験およびそれらの実験の評価に個人的に関与していません.

マクガバン上院議員:
博士,もしも あなたが私たちのいる場所(議員席)に座っていたとして,医師の92%が食事中の脂肪を減らすべきと十分に確信しているのであれば,それを国内に広く推奨するのが議員の責務だとは思いませんか?

アーレンス博士:
政策を実施する前には,その食事の変更がアテローム性動脈硬化症を予防するという実験的または試験的な証明が必要だと思います.そのような証明がない限り,政府が食事の変更を勧めることは危険だと信じます.

「マクガバン・レポートは,食糧業界の理不尽な政治的圧力により葬られた」などということが本に書かれていますが,たしかにこの公聴会で畜産業界は最大限の圧力と反対意見を展開しました. しかし,それは脅しや詭弁を弄したのではなく,冷静に作戦をたてて正攻法により,すなわち『それらは科学的に証明されていない』,この一点に絞って攻撃したのです. そして 委員会側はそれを完全に論破できませんでした.

結果として,マクガバン委員会は 1977年2月に提出した報告書の改訂版を同年12月に差し替えることになりました. そこでは,肉や脂質の消費については,より穏やかな(議員にとっては不本意な)表現にとどめられました.

食事と肥満,肥満とコレステロール値,コレステロール値と心疾患死,それらを結びつける疫学データはたしかにこの時代でもありました.現代でも このロジックで低脂質食を推奨する人はいます.しかし,食事→心疾患死 を直接立証したデータは当時なかったのです.当時どころか,今もありません. そもそも食事の内容と特定の疾患との関係を完全に立証することは不可能なのですから.

[14]に続く

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