食事療法の迷走[1]

日本の糖尿病患者の食事療法はどのように始まり,どこでどうして脱輪して現在に至ったのかという話です.

(C) とりあし さん

1947年の日本

昭和22年です.スタートはこのような状況でした. 日本は敗戦により,都市部は焼け野原,一方農村部では戦災は比較的少なかったものの,流通インフラが壊滅していて,結果として 日本全国で食糧不足でした. 当時の厚生省(現 厚生労働省)公衆保健局栄養課長がこの報告書を残しています.

厚生省 国民栄養の現状

当時の食事摂取状況を見ると下記の通りです.都市部と農村とではかなり様相が異なっていたので,それらを分けて調査しています.

都市部,農村共に 主食のかなりの部分がイモ類であったことがわかります.『米』が食べられることは,それだけでありがたかったことがわかります. 堅果類とは,トチなどの木の実でしょう.
当時の蛋白源はほとんどが魚・豆類でした. 肉類・油脂類・酪農製品などはほとんど統計誤差かと思うほどわずかな量です.

カロリー比率も報告されています.

相対的には農村の方がいくぶん食糧事情がましだったようです.都市部は当時の社会生活を思えば,完全にカロリー不足です.しかもどちらも 炭水化物がほぼ90%です.


「その他」がすべて蛋白質・脂質であったとしても,極端な高糖質・低脂肪・低蛋白質です. これが『ヘルシー』だと思う人はこれをご覧ください.

明らかに栄養失調が原因の症状が並んでいます.特に母乳が出ない人が24~30%というのでは,当時の母親はどんなに辛い思いだったでしょうか.

この調査を報告した厚生省 栄養課長は,次のように総括しています.これでも前年よりは改善されていたのだそうです.

以上の成續を總括するに,22年度は前年度に比して一般に食糧状況の好轉に伴い榮養状況も好轉し,即ち熱量及び蛋白質は都市,農村ともに増加したが,これを望ましき標準必需量に對比するとき蛋白質は都市農村ともになお15%内外不足であり,熱量は農村においてはほぼ標準量に近いが都市はなお300kcal内外の不足を示している. また蛋白質のの内容をみるに農村は動物性蛋白質不足し劣質である.脂肪の摂取量は都市,農村ともになお可成り不足であり特に農村において著しい.

また無機質では都市農村,ともにカルシウムが著しく不足し,またリンとカルシウムの比率も榮養上適正を缼いている.ビタミン攝取量においては攝取食品の原材料より算出すればビタミンB2を除き他のビタミンは標準量をみたすが,調理時における不可避的な損失を考慮した場合,ビタミンCを除くいずれのビタミンも不足であり,特にビタミンB2はかなりの不足である.

身體的症候の發現率は前年度よりは一般に減少したが母乳分泌不良,月經異常,腱反射消失,口角炎,貧血等はなお相當多くみられる. 都市と農村とを比較した場合,一般に都市の方が多いが舌炎及び口内炎,徐脈等はかえって農村の方が僅かに多いことがみられる.

以上が22年度における榮養調査を通じてみた國民榮養状況の全貌である,

[2]に続く

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