ガイドラインと医師

江部先生のブログで よくおみかけする 精神科医師A 様から,下記のコメントをいただきました.

ガイドラインは医師の義務ではありません

ガイドラインに従う必要はありません
日本糖尿病学会診療ガイドライン2016
http://www.fa.kyorin.co.jp/jds/uploads/GL2016-00-03_about.pdf
4. 本ガイドラインの使用法
 本ガイドラインは臨床医が適切かつ妥当な診療を行うための臨床的判断を支援する目的で、現時点における医学的知見に基づいて策定されたものである。個々の患者の診療は、その患者のすべての臨床データをもとに主治医によって個別に決定がなされるべきものである。
 したがって、本ガイドラインは医師の裁量を拘束するものではない。また、本ガイドラインは、すべての患者に適用されるものではなく、患者の状態を正確に把握したうえで、それぞれの診療の現場で参考とされるために策定されたものである。
 日本糖尿病学会「糖尿病診療ガイドライン2016」統括委員会・策定委員会・評価委員会は、本ガイドラインの記載内容については責任を負うが、個々の診療行為についての責任を負わ ない。また、本ガイドラインの内容は医療訴訟対策などの資料となるものではない。

はい,法定文書でないにもかかわらず,と書きましたように,今やどの学会のガイドラインにも,『このガイドラインは,医師の治療手段を限定するものではない』と必ず記載されています.

にもかかわらず,医療訴訟では,一般民事訴訟が専門の(したがって医療知識に疎い)原告側弁護士がガイドラインを引用したり,証拠申請する例がみられます[★].

実際の判例では,ガイドラインの証拠価値を 都度検討したうえでその価値が高いと判断した場合には,当該ガイドラインに従っていた医師の過失を認定した判決は極めて少ない(というか,その実例を探せませんでした)一方で,逆に従わなかった場合には過失を認定している判例が見出されます(ただし 『ガイドラインに従わなかった』ことが直接の認定理由ではありません.あくまでも個別・実態に基づく判断です.下記参照)

[★] 仮に,ガイドラインに『本ガイドラインを訴訟証拠として用いることを一切禁止する』とまで明記してあったとしても,裁判所はそれを理由にして証拠申請を却下することはできません.刑事訴訟であれば,不法行為かどうかが争われるので,当然法的証拠能力が要件です.しかし民事訴訟では,証拠能力の有無は,裁判の過程で判断されるものであって,証拠採用の基準ではないからです.

実際の判例をみてみましょう

「個別・実態に基づく判断」の一例ですが,東京地裁平23.12.9判決【静脈血栓塞栓症の予防措置に関する注意義務違反】があります.

裁判官は,判決文で ガイドラインについて,こう述べています.

日本循環器学会等の合同研究班が2004年6月に公表した「肺血栓塞栓症および深部静脈血栓症の診断・治療・予防に関するガイドライン」は⼀つの指針にすぎず、肺血栓塞栓症発症の予防は最終的には担当医の判断と責任の下に実施されるべきである.

医療ガイドラインはその決定を支援するための指針にすぎず、担当医の医療行為を制限するものでも、当該ガイドラインの推奨する医療行為を実施することを医療従事者に義務付けるものでもない。

難しい術語が並んでいますが,外科手術を受けた女性が,術後寝たきりでエコノミー症候群にならないようにするためには,当時 学会の定めた予防法のガイドラインが存在していました. 裁判官は 医師がこのガイドラインに従う義務はないと正しく認定しています.しかし,それに続けて;

しかしながら、予防ガイドラインは、日本血栓止血学会等の10学会または研究会が参加して作成され、また、治療ガイドラインも、日本循環器学会等の7学会が参加した合同研究班により作成されたもので

かつ,

その公表後、Y病院[注:被告医師の勤務先]を含む多数の医療機関等において、現に予防ガイドライン等に準拠した静脈血栓塞栓症発症の予防措置が講じられていることが認められる

のであるから

このような予防ガイドライン等の作成経緯、その実施状況等に鑑みると、少なくとも本件において予防ガイドライン等に従った医療行為が実施されなかった場合には、特段の合理的理由があると認められない限り、これは医師としての合理的裁量の範囲を逸脱するものというべきである

と,医師の過失を認定してしまいました.

『ガイドラインは医師の義務を規定したものではないが,当該事件発生時点での妥当な医療水準に関する客観的な判断材料になりうる』 (注)

というわけです.

それゆえに,本件で医師がガイドラインの存在を認識していたのに(=医師の勤務先ではガイドラインに沿ったエコノミー症候群予防処置が実際に行われていた),あえてガイドライン通りの手段を選択しなかったのは,その方が患者の予後に有効であると判断したのであろうから,その判断根拠を示せるはずだ,としたのです.

医療訴訟においては,すでに『診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準』を考慮基準とすることは,最高裁判決で確定しています.そこで,ガイドラインが医療水準の判断資料にならないのなら,いったいほかの何が基準になるのだ,ということになります.

(注) ガイドラインがあれば,自動的にそれが医療水準の判断材料となるわけではありません.実際,まったく別の事件ですが,この判決の翌年に,「上記予防ガイドラインは ,平成16年当時のもっとも妥当と考えられる予防法を提言したものであるが,当該事件時点では医療水準を判断する一資料にすぎない」という判決も出ています. ガイドライン制定年と事件発生日とが相当離れていたと想像されます.

医療訴訟でのガイドライン登場は

年々増えています. ここにあげた判例は非常に個別・特殊な例ですが,これが唯一というわけではありません.建前論としては上記判決で判事の述べた通り(『ガイドライン=義務』ではない)であり,実際ガイドラインに従わなくても,従わない方が合理的であったと立証した場合は,医師が必ず勝訴しています.

しかし逆に言えば, ガイドラインに従わず,もしも医療訴訟になった場合には,かなりの確率で原告側はガイドラインを証拠提出しますし,被告医師側にはガイドラインに従わなかったほうが合理的であったことの立証を求められることを覚悟せねばならない. つまり原告側ではなくて,被告医師側に立証責任が発生する,そういう意味において,ガイドラインの存在が『無言の圧迫 』 になる,という意味でした.ガイドラインがなければ起こりようのない問題なので.そう書くべきでしたが,記事原文を訂正してしまうと,精神科医師A様が,どこをなぜ指摘されたのかが わからなくなってしまうので,そのままにしておきます.

こうすべきではないでしょうか

医療訴訟で絶対に証拠採用されないようにするには『本ガイドラインは,いい加減なものである』とでも書くしかないですが,それではガイドラインの意味がないでしょう.

ガイドラインに『XXXはエビデンスレベルが高い』などと書いてあれば,裁判官ならずとも,これは適切な治療法の提示だと思うのは当然でしょう.エビデンスとは,日本語で証拠なのですから.また「標準治療」という言葉が(実際には医療者はこの言葉を ほぼガン治療限定でしか使っていないのに)定着してしまったのも問題です.治療とは本来 患者個別のはずなのに,あたかも標準=規範があるかのような印象を与えてしまうからです.

訴訟社会の米国のように,常に最新情報でガイドラインをコロコロ変えるのは賢い手です[※]. あれではさすがの米国人弁護士も的を絞れないでしょう.日本の社会は,一度制定したことを大胆に改訂するのが苦手です.しかし適時に常に変えていないと,本当に変更が必要になった時ですら,変更内容の是非ではなく,変更するというその行為自体への異論が出てしまいます(会社でもそうですし,憲法もそうです).

[※]「腎臓病の患者に蛋白制限が必要か/不要か」という記述が,1年ごとに正反対になるガイドラインがあるそうですが,意図したかどうかは不明ながら,訴訟対策としては効果的です.

一番いいガイドラインとは,多数例・少数例・希少例と選択肢を並べて,治療法カタログにしてしまうことではないでしょうか. (よく効くというエビデンスのある薬でも,個別・希少例ではかえって悪化した人がいた例を思い出してください) それでこそ 『医学知見を提示し,医師が主体的に判断するための』ガイドラインと言えるでしょうから.

コメント