市長の驚愕
ある住宅地区の世帯別預金額を調べた報告書を市長が読みました.
それによれば,全200世帯の平均預金額は 約5,000万円.市長はこれを見て「この地区はゆとりのある人ばかりが住んでいるのだな.特に緊急に必要な施策はなさそうだ」と感じました.
ところが後日その地区を通りかかった時,市長は愕然としました. ケバケバしい豪邸があるかと思えば,すぐ隣には今にも崩壊しそうな古家.道路はゴミだらけ.
市役所に帰った市長がもう一度報告書を読み返すと,たしかにこの地区の世帯別平均預金額は約5,000万円だったのですが,その内訳は
- 預金額1億円付近が100世帯,
- 預金額10万円付近が100世帯,
これらを平均して5,000万円だったのです. つまり,本当に5,000万円の預金を持っている世帯はゼロでした. 市長は慌てて当該地区の福祉対策を行うよう担当者に指示しました.
存在しない平均
母集団を構成する要素(この場合で言えば各世帯ですね)が,連続的に分布しているのであれば,その平均値や中央値をみることは妥当です.身長分布がそうです.背の高い人も低い人もいますが,それらは平均値付近がもっとも多く,それを中央にして連続的に分布しています. ですから日本人と白人の平均身長を比較することには意味があります.
しかし,ここで挙げた例のように 各要素がまったく異質のグループからなるのであれば,その平均値を見ても意味をなしません.
食後血糖値の変動パターン
以上は架空のケースですが,では糖尿病患者にとってもっとも気になる耐糖能はどうなのでしょうか.よく病院の糖尿病教室などで配られるパンフレットなどには,「食事をとると,1~2時間は血糖値が上がり,その後下がっていきます」と書かれています.こういうグラフです.
これは本当なのでしょうか? 上記の住宅地区の『平均預金額=5,000万円』ではないと言えるのでしょうか? 糖尿病患者を100人集めて糖負荷試験をすれば,程度のちがいこそあれ,全員これと同じようなカーブになるのでしょうか?
その答えは 鹿児島大学病院の元院長 納 光弘(おさめ みつひろ)先生が出されています.
納 先生は鹿児島大学病院でボランティアを募って,26人の糖負荷試験を なんと5時間まで追跡して,その変動パターンを詳しく調べました. 結果は納 先生のホームページに詳しく掲載されています.26人すべての結果が掲載されていますので,ぜひそちらを見ていただきたいのですが,その一例として こういうパターンがあります.
「こんな奇妙なパターンなどあるわけがない」と思った方は,前述の納先生のホームページを見てください.26人の測定結果が掲載されていますが,すべて形が異なります.しかも冒頭に挙げたような単純できれいなシングルーピークの人の方がむしろ稀です.
「これは,単に血糖値測定器の測定バラツキにすぎない」というのも間違いです. この測定は鹿児島大学病院での静脈血測定です.±15%ほどの測定誤差がある家庭用のSMBGと異なり,段違いの測定精度(±1%)の医療用測定器によるものだからです.
医師は 幻の平均像しか見ていない
糖負荷試験という,もっとも単純なケースですら人間の血糖値変化は実に複雑で,しかも一人一人異なることが明らかになりました. そうであるのに,ほとんどの糖尿病の解説書(著者が医師でも)には,最初にかかげたような単純なパターンだけがなぜ示されているのでしょうか?
それは,多くの血糖値変動パターンを集めて平均値を出してしまったからです.たしかに 納先生のHPの実例でも,26人のデータをまとめて平均してしまうと,何の変哲もないグラフになってしまいます. 納先生 はこうも述べておられます.
これまで皆さんと一緒に見てきた26例の個々人の息の詰まるようなすざましい変化に比べ、平均をとってしまうとこんなにも味気ない無意味なものになってしまうことが分っていただけると思います。何も考えない人にこのグラフを見せると『なるほど、糖負荷テストの変化は2時間までが全てで、その後はだらだらとゆっくりさがってゆくだけなのですね』と、とんでもないことを言いそうな気がしますね。
預金5000万円の『幻の平均世帯』と同じです.
糖尿病の食事療法は,この『幻の平均グラフ』通りであることを前提にしています.このグラフにピッタリ当てはまる人はほとんどいないにもかかわらず,です.
「平均値」をすべての人にそのまま適用でいいのか
「日本人の平均なのだから,そりゃあ人によっては多少違うだろう 」 という感想をいだく人もおられるでしょう.では車の運転席を見てください.車の運転席のシートは,その人の体格によってシートのスライド,リクライニング角度,およびハンドル軸の長さや角度が細かく調整できるようになっています.しかし,この運転席の調節機構を『細かく調節できるようにすると,部品点数が増えるし,車の重量増にもなり,結果 コストが上がってしまう. 日本人の平均体格に合わせておけば,調節機構は不要ではないか. それですべての人に,ジャストではないものの,大体合っているのだから』として省いてしまったら,長時間の運転で疲れますし,場合によっては事故を招くかもしれません.
糖尿病の食事療法は,一晩中高速道路を走るという程度ではなくて,非常に長期間,場合によっては一生続くものです.これを『日本人の平均を一律に適用でいいではないか』という考えで作られたのが,日本糖尿病学会が発行している【糖尿病食事療法のための食品交換表】なのです.
コメント
二つのことを思いました。
HbA1cも平均値ですが、食後高血糖と血糖値変動が問題であれば、平均値だけを見ていても不十分のはずです。高炭水化物・低脂肪・低タンパク質にすると血糖値は急上昇し急下降する傾向になると考えられます。それって長期的に安全なのか?と思ったりしています。
EBMは本来、個々の患者の治療法の意思決定のためものののはずが、患者全般の一般的治療方法を特定するために使われている(これは医療の臨床家だけでなく、行政の都合もあるのでしょうが)ようです。「1型」「2型」「境界型」の3種類だけに分けたほうが都合が良いのでしょうね。
記事に紹介いただいた納 先生のホームページ、拝見しました。面白いですね。2型糖尿病患者でも、75gとは言わず、ブドウ糖錠剤実験、どこかでやってくれないですかね。
平均値に代表される 統計指標ですが,ホリデー様もよくご存じの通り,統計ほど門外漢には誤解されやすいものはありません. また 一般の人にとっては統計の正しい解釈が困難であることを利用して金儲けしようなどという輩が多いことも事実です. 真のEBMとはどういうことなのか,かなり大きいテーマなのですが,記事にまとめたいと思っております.
また糖尿病の分類についても,これまで何度も変更されてきたように,現在の分類が最適であるとはどうみても思えません. これも只今記事にまとめつつあります(← もちろん『暴論』風味のまとめ方ですが)
はじめまして。
ホリデーさんのブログから来ました。
私は、去年の11月に空腹時血糖値138ヘモグロビンa1c7.3で糖尿病の診断が下りました。現実を受け止められませんでしたが、今出来る限りの事は何でもやろうと診断を受けた当日から食事制限に運動療法(周りにはダイエットを理由に)を始めました。
家族にも話が出来なかったのですが、それから約1ヶ月後に心苦しさから嫁さんに相談を話をしたのです。
嫁さんは看護師でして、話を聞いてブドウ糖負荷試験をやってみたらどうかと私に聞いてきたので、危険を承知に受けてみたのです。
検査の結果ですが
負荷前 107
30分後 193
60分後 248
120分後 138
で検査上は正常型でした。私は目がテンてになったのを覚えています。この結果にはしらねのぞるば様はどうお考えになりますか?30分と60分が高値なので対糖能異常は確実ですが…
約1ヶ月の治療で正常型に戻るとお考えになりますか?
>検査上は正常型でした
「糖負荷試験の2時間値が140以上なら糖尿病」と判定するのは,たしかにガイドラインの一つの指標ですが,空腹時血糖値やHbA1cの値からみて,どんな医者でもこれを正常と診断することはないでしょう.
もっとも『学会が作成したガイドラインは法律である. だから厳密に条文解釈すべき』と思っている裁判所の判事ならそういう判決を下すかもしれませんが.
>約1ヶ月の治療で正常型に
これまでの経過と,現在肥満かどうか,この2点によると思います. 前々回の健康診断では血糖値やHbA1cがそれほど高くなかったのに,今回初めてこの値になったのか,また現在の体重がBMI25を大きく越えているのかどうかです.どちらもYesであれば,つらいでしょうが,減量すれば数値は速やかに良くなっていくと思います.ただ1ヶ月という期間目標は定めないほうがいいと思います. 無理をしてはいけませんから.
ご意見ありがとうございます。
私は当時かなりの肥満体型でした。
糖尿病発覚時体重98㎏BMI32
1ヶ月後負荷試験時88㎏BMI28.73
現在81㎏BMI26
二十歳の頃は60㎏でしたが、結婚してから最大110㎏…これはいかんと思いダイエットして一時期75㎏まで落とすものの、リバウンドして糖尿病発覚の状況でした。
現在は、数値上はまだ肥満に属しますが、見た目は大分改善してます。
軽い糖質制限と毎日30分以上のウォーキングは発覚時から継続中です。(負荷試験まではスーパー糖質制限に近い食事でした。)
前々回(1年半前)の数値ですが、a1c6.1空腹時血糖値109でした。その前が(3年前)a1c5.6空腹時血糖値96です。
医者の見解はごくごく最近の発症であろうという事です。
耐糖能の改善を夢見ていつの日かまた家族と同じ食事をするという目標が心の支えになっていますが、個人差が大きいと思われる耐糖能異常で、私のような状況はまだ改善の余地ありと考えられるのでしょうか?
質問ばかりで大変申し訳ありません。
>前々回(1年半前)の数値ですが、a1c6.1空腹時血糖値109
>その前が(3年前)a1c5.6空腹時血糖値96
BMIは高かったものの,血糖値はほぼ正常だったのですね.であれば,当時のインスリン分泌能は十分だったと思われます.
>医者の見解はごくごく最近の発症
私もそう思います.肥満によりインスリン抵抗性が発生したのでしょう.この場合,血中インスリン濃度はむしろ正常人よりも高いことも珍しくないです.現在も定期的に通院されているでしょうから,HOMA-R,HOMA-βを検査してもらう,つまり空腹時血中インスリン濃度も調べてもらえばいいと思います.血糖値に加えてこれを測定するのは,病態からしても保険適応ではないでしょうか.
>私のような状況はまだ改善の余地ありと考えられるのでしょうか?
素人の私がうけあうのも何ですが,インスリンは十分出ていると考えられるので,復活可能と思います.ただし;
>いつの日かまた家族と同じ食事をする
100kg近い体重であった頃とまったく同じ食事に戻ってしまったら再び悪化するでしょう.スーパー糖質制限食を実行されたのであれば,意外に空腹感はないということもたぶん実感されたでしょうから,頑張って体重をもう一まわり落としておけば,糖質控えめながらもほぼ普通食に戻れると思います.
大変参考になりました。
ありがとうございました。
はじめまして
appleと申します
ホリデーさんのブログよりまいりました。
私は40代の主婦です
第一子妊娠中に耐糖能異常となり、その後13年前から境界型です。
一昨年5月の人間ドックでHbA1c5.3→5.8となったため、
食事だけでなく運動も取り入れるようにしました。
その結果5か月後(昨年10月)には5.4になったのですが、昨日某薬局で測定したところ5.6になっていました。
自己測定は毎日朝食前と夕食後2時間で行っています。
その結果を見る限り、現状維持かそれ以下となっている見込みだったので、
少しショックでした。
10月以降運動は変えていないのですが、食事はさらに糖質を少なくしてその分脂質とタンパク質多め
にしています。
食事では、脂質を一番最初にるように変えました。具体的には、食前にアーモンドを5g食べます。
脂質を先に摂取したほうが、血糖値の上昇が緩やかになるという自己測定の結果から導き出した食べ方でした。
HbA1cが5.6ということは平均血糖値が114ということですよね。
平均値には意味がないかもしれませんが、夕食後2時間値がだいたいこのくらいなので
妥当な結果なのかもと思ってみたり。
朝食前は70後半から90前半なので、脂質を先に摂取することによりだらだらと少し高めがつづいているのかなと思ったりします。
このような解釈でよろしいでしょうか?
ご意見をお聞かせ下さるとありがたいです。
急激な血糖値変化が最も血管へのダメージが大きいと考えた場合、
少しぐらいHbA1cが上がっても、脂質先の食べ方が良いのでしょうかね?
apple 様;
こんばんは. ホリデー様のブログでお見かけしていますね.
コメントありがとうございます.
>その結果5か月後(昨年10月)には5.4になったのですが、昨日某薬局で測定したところ5.6
これについては,図表を使った説明の方がわかりやすいと思いますので,この後にあげる記事にしてご回答いたします.