【この記事は 第68回 日本糖尿病学会年次学術集会のレポートではなく,講演を聴講した ぞるばの感想です】
学会初日の午前は【シンポジウム7 糖尿病診療における人工知能およびデジタル医療の展望】を聞いておりました.
このシンポジウムの最後の2題は,まとめて考えるべきでしょう. 今回の学会でもっとも注目していた講演の一つです.

千葉大学 川上英良先生と 県立福島医大 島袋先生の講演です.朱書の【先制医療】にご着目願います.
この言葉は 2018年 スウエーデンの E.Ahlqvist博士が,この論文で;

スウェーデンの糖尿病患者データベースに登録された13,000人のデータを,糖尿病の6つの検査指標[年齢,BMI,HbA1c,HOMA2-β値,HOMA2-IR値,GADAの有無]だけで クラスター分類してみたところ,2型糖尿病には複数のパターン(Subgroup)がある.そしてパターンによって発症しやすい合併症が異なるので,それを予測した先制治療が可能になるはずだ
と提唱した時に使われた言葉です.
現在の糖尿病治療は,血糖コントロールが悪化しないように日々の治療は行うが,どの合併症がいつ起こるかわからないので,合併症が発生したら,その時点で治療強化を考えるというものです.これでは 基本的に『後追い』の治療です.
しかし,Ahlqvist博士は 『2型糖尿病という単一の病気は存在しない. それは相互に異なる病気を混ぜこぜにしてそう呼んでいるだけだ. パターンに応じた先制医療に転換すべきだ』と訴えたのです.

この説に もっとも早く反応したのは,欧州の糖尿病医学界でした. 巨額の予算を投入して,RHAPSODYプロジェクトをたちあげました.
このプロジェクトの目標は 『糖尿病の精密治療と予防』(For precision therapy and prevenntion of diabetes)です. 糖尿病患者の病態パターンに応じて,その人に最適な治療法を確立しようというものです.
実際 RHAPSODYプロジェクトでは,Ahlqvist博士が見出した2型糖尿病の4つの類型(Subgroup)以外に,例外的に 糖尿病の進行が遅く,合併症が発生しにくい MDH(Mild Diabetes with high-HDL; 高HDL性 軽度糖尿病)というパターンがあることも見出されました.

この欧州の動きに対して,日米の糖尿病医学界はAhlqvist説には 長らく無関心・冷淡でした.
しかし,2021年1月の日本糖尿病学会主催の講演会「第55回 糖尿病学の進歩」で,滋賀医大の前川 聡 先生が,このAhlqvist説による2型糖尿病の新分類について詳しく解説されたあたりから,ようやく学会でも関心が高まってきたようです.
いち早く Ahlqvist説に着目して,日本人の2型糖尿病患者にも合致する[PDF]ことを見出した福島県立医大の島袋先生は,日本糖尿病学会の探索プロジェクトとして行われる『日本人糖尿病集団における糖尿病サブクラスの解析』のリーダーをつとめることになりました.
ようやく日本糖尿病学会も サブグループに目を向け始めたのです.
というわけで 前振りが長くなりましたが,今回の 川上・島袋 両先生の講演を選んだのは,この方面での最新の情報・研究進展を知ることが目的でした.
講演の内容は,ほぼこの論文に沿ったものでした.

Ahlqvist博士の新説は画期的なものでしたが,臨床医からはきわめて不評でした.その理由は;
- クラスター分類に用いる指標の中で,HOMA2-βとHOMA2-IRは,通常の糖尿病診療ではほとんど測定されない.
- 新規に糖尿病と診断された患者が,AHlqvist説のどのクラスタ(Subgroup)に属するのか 決定するのは非常に困難
というものでした.
後者は少し説明が必要でしょう. Ahlqvist博士の用いた k-平均法 データ駆動クラスタ分類法(Data-driven Cluster Analysis)とは,『教師のいない機械学習』と呼ばれるものなので,その原理上 1万人のデータに一人を追加するだけであっても,(1万人+1人)分の計算を全部やり直さければならないのです. このことは,医師が自分の前に現れた新規患者が,どのクラスターに属するのかを調べるのに,いちいち元のデータに組み込んで膨大な計算をやり直してもらわないと答えが出せないことを意味します(しかも 計算にはスパコンが必要です).これが 『Ahlqvist分類は実臨床には使えない』と言われた理由でした.
しかし,上記の論文は この点をクリアしたものです.具体的には 福島県と沖縄県の糖尿病患者のデータから,Ahlqvist博士の方法でクラスタ分類を完了しておき,それと同じ結果が出るように,ランダムフォレスト(RF)法による機械学習ツールを作成したのです. このツールを使って 改めて両県の患者データを学習させてみると,Ahlqvist法ときわめてよく一致しました. しかも このツールを使えば,新たに一人の患者がどのクラスタに属するのかを,(全員の再計算をしなくても)判定できるのです.

さらにこのツールでは,Ahlqvist分類では必須とされていた HOMA2-β,HOMA2-IRの数値も,他の検査指標から推定できるようにしました.
ということは,今後このツールによって 糖尿病患者ひとりひとりが,2型糖尿病のどのパターンに属するのか,したがって,その人が どの合併症に対してリスクが大きい(又は小さい)のかを簡単に判定できるようになったわけで,
Ahlqvist分類が 格段に使いやすくなったのです.
講演では,このツールは 7~8月頃には公開予定とのことでした. おおいに期待しましょう.
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