第26回 日本病態栄養学会の感想[5] SGLT2阻害薬は栄養学的には?

【この記事は 第26回 日本病態栄養学会 年次学術集会に参加したしらねのぞるばの 手元メモを基にした感想です. 聞きまちがい/見まちがいによる不正確な点があるかもしれませんが,ご容赦願います】

SGLT2阻害薬(Sodium-GLucose co-Transporter-2 Inhibitors)は,血糖値降下低下だけでなく,減量効果もあることから,今や 糖尿病薬の第一選択薬に躍り出ようかと勢いです. しかも それだけでなく,糖尿病ではなくとも心不全や慢性腎臓病 の治療薬としても使用が広がりつつあります.

しかし,食物として体内に取り入れたブドウ糖を,薬物により強制的に排泄してしまう,それって栄養学的にみた場合どうなの? というディベートです.

コントラバシー2:SGLT2阻害薬は栄養学的に良いのか,悪いのか

【是:Pros】SGLT2阻害薬は栄養学的にも問題ない

【是】の側の演者は 新潟大学 細島 康宏先生です.

細島先生は 腎臓内科が専門です. SGLT2阻害薬の特徴と利点とを,もれなく丁寧に解説しました.

まずSGLT2阻害薬の作用機序を概説しました.SGLT2阻害薬の作用メカニズムについては,過去に本ブログでも取り上げていますので割愛します.

そして 現在までの臨床試験 及び実臨床で投薬された結果から;

  • SGLT2阻害薬は 糖代謝・脂質代謝・蛋白質代謝のいずれにおいても有益な方向に作用する.
  • 特に脂質代謝ではHDLを上昇させ,中性脂肪(TG)を下げる効果は望ましい.
  • 最近は 心不全・慢性腎臓病への薬効も保険適用となっている.

などと, SGLT2阻害薬は 一言で言えば弱点がない薬剤であると結びました.

ただし,一点だけ 懸念される事項は,SGLT2阻害薬が 心不全・慢性腎臓病の薬剤としても 承認された結果,専門が糖尿病以外の医師,すなわち循環器科・腎臓科の医師が 通常の心臓・腎臓の薬と同じようなものと考えて,既に糖尿病の薬を投与されているのにSGLT2阻害薬を投与してしまうケースがみられ,これは 場合によっては非常に危険なことになると警告しました.

実際 日経メディカルのこの記事(全文を読むには無料の会員登録が必要です)でも報告されたように;

SGLT2阻害薬の処方は「初心忘るべからず」で
これまでSGLT2阻害薬は2型糖尿病治療薬として、主に糖尿病内分泌科の医師が使用していた。しかし現在では、まるで降圧薬のように、専門にかかわらず多くの内科医が使用し始めている。エビデンスに基づき、ダパグリフロジンは慢性心不全と慢性腎臓病(C...

SGLT2阻害薬を単なる心不全の新薬だと思った循環器系の医師が,すでに[インスリン+DPP-4阻害剤+メトホルミン]というかなり強力に糖尿病薬を投与されている高齢糖尿病患者なのに,更にSGLT2阻害薬を投与してしまったため ふらふらになり歩行することすら困難になって救急搬送されたという事例です.

たしかにSGLT2阻害薬の添付文書には慢性心不全の適応は記載されていますが,本来糖尿病の薬であることは明らかなのに,読まなかったのでしょうかね.

【否】SGLT2阻害薬は栄養学的には問題である

【否】の側からは 関西電力病院 浜本芳之先生が立ちました.

SGLT2阻害薬について,あまりにも楽観的・バラ色の情報が流布しているのは懸念される,との意見です.

  • SGLT2阻害薬は余分な糖を自動的に排泄してくれるので,何を食べてもいい
  • 糖尿病だけでなく心臓・腎臓にも効く万能薬である

などは誇張があるとの立場です.

実際 SGLT2阻害薬が HFrEF(収縮性心不全)に効果があったと報告されてはいるが,このデータは欧米のBMI~29程度の人のものであり,これがそのまま日本人に適用できるかは疑問である.

この点については 私の別館ブログでも,この記事で;

『糖尿病治療:お茶の間医学[3]』
SGLT2阻害薬のエンパグリフロジン(商品名:ジャディアンス)は糖尿病の薬なのに,心血管疾患や腎障害といった合併症の予防に効果がある. これはテレビ・新聞で…

SGLT2阻害剤は 誰にでもよく効くとまでは証明されたわけではないと述べました.

ですので,浜本先生の指摘はおおむね賛成なのですが,一点だけ こう述べられたのはおかしいと思いました.

ケトン体が人体にいいものならば,なぜ普段はこんなに低濃度なのか

ケトン体は正常な人体では あまり使われておらず,ただ非常時にのみ多くなる,非常に限定されたものであると言いたかったのでしょうが,そう述べるのであれば 何らかの根拠・データを示すべきだと思ったからです. 医師なのですから『何となくそう思う』は,雑談ならともかく 学会という場では不適切でしょう.

実際には通常 ケトン体の血中濃度が極めて低いのは,この記事で紹介した論文にもあるように,ケトン体は 常時盛んに合成されているのですが,すばやく全身に循環して,心臓のようなケトン体の大口ユーザがただちに消費するので いつも血中濃度が低いようにみえるにすぎないのです.

The concentration of ketone bodies in the blood represents the balance between their production by the liver and their utilization by peripheral tissues.
 
ケトン体の血中濃度は, 肝臓での生成と周辺組織の消費とが バランスしているだけである.

Robinson 1980

なぜ このディベートを行ったのか?

ディベートの【是】【否】それぞれの演者の講演は以上の通りでした.ただ聴いていて どうにも違和感がぬぐえませんでした.

というのも ここで述べられたことのほとんどは,【是】【否】どちらの意見であれ,SGLT2阻害剤について よく知られていることばかりです.SGLT2阻害剤は,これだけ有名になったのですから その情報は今や あふれるほど多く,素人の私が聞いていても 目新しい情報はほとんどありませんでした.(強いていえば,SGLT2阻害剤を循環器科や腎臓内科の医師が濫用する懸念が提起されたことぐらいでしょうか) それなのに なぜ こんなディベートを企画したのか?

ところが,ディベートの途中,【是】側の細島先生の講演した直後に,清野理事長が特に発言を求めてこう述べました.

治療とは異常な状態を正常に戻す,そうあるべきだ
中枢に対するグルコースとケトン体の作用は同じではない
糖新生を亢進させるようなものは 正常なものを異常にするのだから栄養学的に正しくない

早い話が 『SGLT2阻害剤は 人体の自然の摂理に反するものだから賛成できない』というわけです.

この 清野理事長の発言を聞きながら,『あれれ? そういえば 以前にもこんなことがあったな』という既視感 Dé jà vu に襲われました.

2013年に行われた 第16回 日本病態栄養学会のことでした, この学会に参加した感想は 江部先生のブログ記事にもとりあげてもらいましたが,この時もやはり,清野理事長はこう述べています.

炭水化物,脂質,蛋白質の三大栄養素は すべて人間に必須のものである.糖質を減らして血糖値を下げようというのは,人体の自然に反している.炭水化物をしっかり食べて,インスリンを十分分泌させ,血糖を筋肉や組織にしっかりと取り込ませなければいけない.糖質を減らすとインスリンも減り,正常な人体バランスを保てなくなる.

第16回 日本病態栄養学会 Meet the ExpertⅡ-2 清野 理事長

と熱弁をふるったのです.あれから10年経っていますが,持論は変わらないということなのでしょうね.

つまるところ,清野先生は SGLT2阻害剤にも糖質制限食にも反対だというわけです. そしてその点を明確にするために このコントラバーシを行うことにしたのでしょう.

管理栄養士の将来に対する危機感からコントラバーシ1を行い,糖質制限にもSGLT2阻害剤にも反対するためにコントラバーシ2を行った,こう考えると この2つのディベートの企画意図だけはよくわかりました.

たしかに 『人間は炭水化物をたくさん食べてインスリンを分泌する仕組みになっている. 糖新生やケトン体を増大させる 糖質制限食やSGLT2阻害薬は,どちらも栄養学的に不自然であり,反対だ』と考えるのであれば,それはそれで首尾一貫しています.

一時 学会の幹部が述べていた『糖質制限食で増えるケトン体や糖新生は悪だが,SGLT2阻害薬のケトン体と糖新生は善である』という詭弁よりは,よほどスジが通っているでしょう.

[続く]

コメント

  1. highbloodglucose より:

    学会プログラムを見て、気になっていたもののひとつです。
    どのような議論がなされたのか、よく分かりました。ありがとうございます!

    SGLT2阻害薬だけじゃなくα-GIも口から摂取した糖分の吸収を妨げるわけですから、軽い糖質制限ということになりますよね。以前から不思議に思っていました。口から入れて腸で吸収させないようにするなら、最初から口に入れなければいいのでは…?って。

    >ケトン体が人体にいいものならば,なぜ普段はこんなに低濃度なのか

    どの程度なら「低濃度」で、どの程度なら「高濃度」になるんでしょう?
    血中のグルコースもコレステロールも脂肪酸も、それぞれ生体には重要で必須の物質ですが、その濃度は厳密にコントロールされていて、高濃度になると「異常」とされますよね。高ければいいというものじゃない。
    ケトン体も同じで、体が必要とする分だけが循環している(需要と供給が釣り合っている)のであって、低濃度=重要でない、高濃度=重要である、という認識は違うような気がします。

    このように考えると、尿ケトンが陽性になるほどのケトーシスは異常である、ということになります。使えるエネルギー源をわざわざ尿中に排出してしまうのは、使い切れないほどのケトン体を産生してしまって需要と供給のバランスが崩れていると考えられるので。高血糖で尿糖が出るのと同じ現象ですね。

    >治療とは異常な状態を正常に戻す,そうあるべきだ
    中枢に対するグルコースとケトン体の作用は同じではない
    糖新生を亢進させるようなものは 正常なものを異常にするのだから栄養学的に正しくない

    一見、正論のように見えるけれど、詭弁だなと感じました。

    治療薬というのは、そもそも異常な状態を正常に戻しているわけじゃないでしょう。
    見かけ上の症状を正常に見える状態にしているだけ。
    SGLT2阻害薬の場合は、通常なら尿糖が出ない程度の血糖値でも強制的に尿中に糖を排出させるとか、糖新生が亢進するとか、ケトン体が高値になるとか、そういう代謝の変化が報告され分かっているだけです。
    たとえば降圧剤のACE阻害薬やARB、Ca拮抗薬、利尿薬なども、服用すれば体内の代謝がいろいろ変化しているでしょう。しかしながら、見かけ上、高血圧が改善されるので治療薬として多く利用されているわけです。
    スタチン系にしたって服用することでさまざまな代謝変化を及ぼしていると思いますが、それについての懸念が議論されることはなく、むしろ、手放しでその効能が賞賛されていますよね。

    そもそも、薬剤というのは生体内のあらゆるところに影響を及ぼすから、副作用というのがあるわけですよね。だけど、目的とする治療効果が確認され、メリットとデメリットを考慮して許容されているわけで。
    SGLT2阻害薬だけがやり玉に挙げられるのはどうなんだろう?と感じます。

    まあ、清野氏のお考えの方向性はずっと一貫しているようですし、このお方が重鎮の間は議論が進まないんでしょうね。

    • しらねのぞるば より:

      >ケトン体も同じで、体が必要とする分だけが循環している

      【是】側の細島先生は,下記のような ケトン体の有用性を示す文献を多数あげていたのですから;

      https://doi.org/10.1016/j.cmet.2020.06.020

      それを否定するのであれば,同様に SGLT2阻害薬により増えるケトン体の有害性を示す文献をあげるだろうと思いました. しかし それをせずに『そんなに有用なものなら なぜ濃度が低いのか』だけだったので,それではディベートになっていないと思いました.

      >清野氏のお考えの方向性はずっと一貫

      清野先生は,2007年の寄稿で『炭水化物を摂ってインスリンがたくさん出るのが正常な姿』と述べています.

      『低インスリンダイエットを科学する』(*)
      総合臨床 Vol.56(1) 58-60;2007

      (*)総合臨床は 既に休刊となっていますが,この記事に全文が引用されています.

      koujiebe.blog95.fc2.com/blog-entry-2430.html

      2008年には『コメと疾病予防』という国際フォーラムの組織委員も勤めておられます.

      http://www.rice-studies.org/sympo08_j/contents06_seino.html

      ですから,筋金入りですね.

      ただ,『正常だろうが,糖尿病だろうが,炭水化物をたくさん摂ってインスリンを十分分泌させなければいけない』という この考えに従うと,一切の糖尿病薬は不要であり,糖尿病治療は 高糖質の食事を食べながら ただインスリンだけを打っていればいい,ということになりますね,

  2. 西村 典彦 より:

    SGLT2阻害薬は糖のみを選択的に排泄してくれるので糖質が多少多いものを食べても糖質制限と同じ効果が得られる。したがって糖質制限中でも食品の選択肢を増やせます。と言う事は糖以外の栄養素の種類も増やせると言うのが私の考えですが、そのような方向性でSGLT2阻害薬を考察した文献は見た事がありません。
    ぞるば様は、どう思われますか?

    • しらねのぞるば より:

      >糖以外の栄養素の種類も増やせる
      >そのような方向性でSGLT2阻害薬を考察した文献

      この方向の文献はないでしょうね. というのも SGLT2阻害薬は,血糖を捨てて 血糖値を下げると同時にカロリーも捨てる,つまり肥満患者には一石二鳥となるわけです. 欧米の糖尿病患者=肥満なので,せっかく減らしたカロリーを補おうという発想は出てこないでしょう.日本でも SGLT2阻害薬は 中年以下の肥満患者がもっとも好適とされており,特に痩せている高齢者には注意が必要とされていますから,やはりみあたりません.