食事療法の迷走[36] バトル勃発

糖質制限食は是か非か

2012年1月の日本病態栄養学会 初日の討論会『ワークショップ2』では,『食品交換表にカーボカウントを取り入れるべきか』で賛否両論が出されました.
そして,その翌日には 『糖尿病治療に低炭水化物食は是か?非か?』(★)というディベートが行われました. 対立をあからさまにすることを好まない日本の学会風土では珍しい形式です.このディベートでは合計6つのテーマが取り上げられました.

(★) 当時はまだ学会で 『糖質制限食』 という言葉はタブーだったので,ディベートのタイトルには『低炭水化物食』が使われています.しかしそれでも『低炭水化物食』をテーマとすることにさえ猛烈な反対があったようですが,この年の学会会長の中西靖子先生が決断されたようです.

満員御礼

(C) Diamondtears さん

会場はビッシリと立ち見まで出て ものすごい数の聴衆でした.それだけ このディベートは,日本全国の医療関係者の注目が高かったのです.私は満席になることを予想して,開始時間の2時間前から最前列席を確保していました.

糖質制限食は『是』である

まず『是』側の 高尾病院 江部先生が登壇されました.ディベートのタイトルは,『低炭水化物食の是非』でしたが,江部先生はもちろん『糖質制限食』という言葉を使って,『是』とする理由を説明しました.この講演の内容は,テープから起こした全文が記録されているのでそちらをご覧ください.

『第15回 日本病態栄養学会 年次学術集会・立論テープ起こし』

糖質制限食は『否』である

続いて 他方の『否』側を担当した,高輪メディカルクリニック/東海大学 久保先生が登壇されました.
久保先生は開口一番,こんな話をして会場から大ウケでした.あっぱれです.

本日のこのDebateへの出席はどうも気が進まなかった. 私のスタッフに「学会で糖質制限食のDebateに出ることになったよ」と言ったら,みんな口をそろえて「先生! 糖質制限食 よく知ってます」「すごく効果があるんですよ!」と言うので,もう その時点で闘志がくじけた.

久保 明 先生

久保先生の主張は,私の手元メモでは大要 以下の通りでした.

  • 糖質制限食により食後血糖値が上昇しないという,その効果については否定しない.
  • 問題としてあげたいのは
    • (1) 糖尿病は長期の治療を要するものである
    • (2) その長期間にわたり糖質制限食を継続してリスクはないのか
    • (3) 低糖質食はどのように定義されているのか
    • これらがいまだ明確ではない.
  • また,糖質制限食の長期継続患者に対して,適切なバイオマーカー,サロゲートマーカーが不明であることにも不安を感じる.
  • 糖質摂取を控えると,必然的に 高蛋白・高脂質食となるが,その場合のeGFR低下や,動脈硬化進行も懸念される.

ディベートは淡々と

両者の主張が出そろったところで,ディベート,すなわち相手側の主張に対する疑問や,それに対する反論,さらに再反論などが行われました.

ただしディベート自体は 激しい言葉のやりとりもなく,江部先生と久保先生とが,淡々とそれぞれの主張を展開し『和やかに』進行したというべきでしょう.

会場から火の手が

むしろ会場に緊張が走ったのは,Debateの終盤で 座長(日本糖尿病学会 門脇理事長)が,会場からの意見・質問を求めた時でした.

すると,会場にいた 日糖協の機関紙『さかえ』の編集者の方から,こんな意見が出ました.

日糖協には,最近患者から抗議の電話が相次いでいる.

『どうしてこんな効果的な方法があるのに,なぜ 日糖協はこれを教えてくれなかったのか』

糖質制限という方法があるということを教えてくれていれば,自分の糖尿病はここまで悪化しなかった

日糖協=日本糖尿病協会は,日本糖尿病学会の傘下団体で,糖尿病患者と医療関係者が参加する親睦団体です.会員向けに月刊誌『さかえ』を発行していますが,その読者から抗議の電話が相次いでいるというのです.

更に 中村整形外科リハビリクリニック の中村巧先生が発言を求めて,座長に強烈な質問をしました.

日本糖尿病学会は,糖尿病患者に多量の炭水化物を食べさせて,上がった血糖値を薬で抑える. いつまで こんなマッチポンプを続けるのか

この中村先生の発言の様子はまだYouTubeに残っています

ここから始まった

この学会で初めて,

  • 『食品交換表が推奨する炭水化物 50~60%は多すぎるのではないのか』
  • 『炭水化物 50~60%がベストであるというエビデンスはないではないか』

という声が出たのです.当時 既に 世間では糖質制限食はよく知られていましたが,それまでの学会では『糖質制限』という言葉 それ自体がタブーでした.

学会という公式の場で,しかもあれだけの聴衆の前で『糖質制限食の是非』が討論されたのは,この瞬間だったのです.

なお,この日のディベートは 冒頭の通り 合計6本あったのですが,このディベートが終わると会場から一斉に人がいなくなり,座席に空席が目立つようになりました.このディベートを聞くためだけに学会に参加登録した人も多かったのでしょう.私もそうでしたが.


この年以降,長らく食品交換表の編集にたずさわり,学会・講演会などで『食品交換表は,唯一の正しい糖尿病食事療法である』と話してきた先生方は 憤激して猛烈なキャンペーンを開始しました.
現在まで続く バトルの火蓋が切って落とされたのです.

[37]に続く

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