反対者が続出したとはいえ,マクガバン・レポートの提言は米国糖尿病学会(American Diabetes Association = ADA)に大きな影響を与えました.マクガバン・レポートに多数引用された当時の文献では,ただでさえ高い米国人の心疾患死亡率が,糖尿病患者ではさらに高いと示されており,それが食事中の脂質が多いせいだと名指しされたに等しいからです.そこまで言われては学会も動かざるを得ません.
米国糖尿病学会(ADA)食事療法ガイドライン 1979
ADAは1971年に『糖尿病患者のための栄養・食事推奨原則ガイドライン』(Principles of Nutrition and Dietary Recommendations for Patients with Diabetes Mellitus: 1971)を出しており,その時点で既に;
There no longer appears to be any need to restrct disproportionately the intake of carbohydrates in the diet of most diabetic patients.
Diabetes 1971 Sep; 20(9); 633-634
ほとんどの糖尿病患者の食事で炭水化物の摂取を極端に制限する必要はありません.
と表明していました.これはインスリンが普及し始めたので,それまで行われていた厳密な糖質摂取制限を緩めても構わないからという判断でした. さらに1979年に出されたガイドライン改訂版では;
本文で,まず『基本原則』としてこのように書かれています.
For all healthy individuals, nutritional requirements are fundamentally the same, varying primarily in amounts during the various stages of the life cycle. The dietary recommendations for diabetic persons are, in most respects, the same as for nondiabetic persons and are based on sound principles of nutrition.* Ordinarily, the nutrient needs of diabetic persons may be met without the use of special “dietetic” or “diabetic” foods.
すべての健康な個人にとって,栄養要件は基本的に同じであり,ただライフサイクルのさまざまな段階で適切量が変わるだけです. 糖尿病患者の食事であっても,ほとんどの点で非糖尿病の健常人のそれと同じであり,栄養の健全な原則に基づいています.したがって糖尿病患者の栄養ニーズは,特別食事や「糖尿病食」を使用しなくても十分満たされるのです.
この文章をよく覚えておいてください.どこかで見たような表現ですね.
さらに 本文を読んでいくと『一般的考慮事項』(General Considerations)という項目があり,その先頭でこう述べています.
Although it is not certain that restriction of dietary saturated fat and cholesterol and replacement with unsaturated fat will slow the progression of atherosclerosis, it is a reasonable expectation. Therefore, dietary sources of fat that are high in saturated fatty acids and foods containing cholesterol should be restricted.
飽和脂肪とコレステロールを制限すれば,あるいは不飽和脂肪に置き換えれば,アテローム性動脈硬化の進行を遅らせることができるかどうかは確かではありません.しかしそれは合理的に期待されます.したがって,飽和脂肪酸の多い食事の脂肪源とコレステロールを含む食品は制限されるべきです.
この部分は,マクガバン委員会で大いに紛糾したところです. しかしADAは,『明確な根拠はないけれど,脂質は,特に飽和脂質は減らした方がよさそうだ』としたのです.科学的根拠はないとは認めつつ,しかし 米国糖尿病患者の心疾患死が多いのを放置しておいていいのか,と糾弾されることを恐れたのでしょう.
高糖質推奨に転換した?
しばしば誤って(あるいは故意に)引用されるのですが,この『1979年ガイドラインで米国糖尿病学会は,すべての糖尿病患者に糖質60%を推奨した』などと本に書かれているのは,間違いです.
1型糖尿病患者のみ
たしかに,このガイドラインには上記のように書かれています. しかしこれは赤線部の通り,『1型糖尿病患者(当時の言い方で Insulin-Dependant Diabetic Persons)は,炭水化物 50-60%とすべきである』だけです.しかも緑線部の通り『このパーセント比率は一般則であって,固定的なものではない』とも注記されています.
2型糖尿病患者には
それでは2型糖尿病患者(当時の言い方では Non-Insulin Dependant Diabetic Patients)ではどうだったのでしょうか? こう書かれています.
『肥満の2型糖尿病患者であれば,カロリーを制限すべきである』だけであって,栄養素比率にはまったく触れていないのです(赤線部). それどころか『1,500kcalを下回るような極端に低いカロリー設定の場合は栄養失調を起こさないように気を付けるべき』(緑線部)とも注意しています.
反対はなかったのか
マクガバン・レポートに対しては,多くの異論・反対があったのに,ADAは1979年のこのガイドラインで,脂質を減らすことを推奨しました.しかし,その根拠は提示できず,ただ『一般論として,それが良さそうだから』という曖昧な言い方でした. ADAが こんなあやふやな根拠でガイドラインを定めたことに誰も反対しなかったのでしょうか?
いいえ,もちろん異議は出ました.
[19]に続く
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