学会の症例報告を聞いていたら,インスリン感受性の指標として,SPISE指数というものがあることを知りました.
糖尿病関係の指標には
理論又は因果関係から演繹的に導き出しものと,多数のデータから経験的に導き出したものとがあります.
前者の代表例は HOMA-βやHOMA-Rで,理論的基盤はしっかりしているのですが,どの人にも当てはまるほどの精度がないのが弱点です.
一方後者は,理論的根拠は説明できないものの,多数のデータを基にしてもっともFitする式を求めたものです.元になった母集団に分類される人になら,よく当てはまります. もともとそういう人たちだけのデータを大量に集めたものなのですから当たり前です. このSPISE指数もそういうものの一つです.
SPISEとは
Single Point Insulin Sensitivity Estimatorのことです.
2016年に提案されたもの なので,この種の指標としては Brand Newです.
ご覧の通り,HOMA-βやHOMA-Rと違って,美しい数式の形をしていません. 指数が整数ではなく小数というのも,いかにも おまじないのような雰囲気です.計算も面倒ですが,Excelを使えば簡単です.
計算結果
この指数がインスリン感受性をクランプ試験で厳密に調べた結果と実によく相関するのです.
知りたいのはインスリン感受性
痩せ型糖尿病の人は,自分のインスリン分泌が少ないことも,インスリン抵抗性などほとんどないことはよく知っています. ですから HOMA-β,インスリン分泌指数,ましてHOMA-Rなどの数値を知らせてもらっても,ありがたくもなんともありません.知りたいのは,自分のインスリン感受性だからです.そして,このSPISEは クランプ試験によって測定した全身のインスリン感受性と高い相関があることが示されています.
前回の記事で,日本人の糖尿病は,欧米人に比べて 非常に低いインスリン分泌能と,非常に高いインスリン感受性を持つ状態[日本人の原点;下図]から始まって,
インスリン感受性が弱っていくのが,日本人の糖尿病であって,インスリン分泌を増やしていける人が肥満型糖尿病,一方 インスリン分泌を増やせず,痩せたままで血糖値だけが上がっていくのが痩せ型糖尿病ではないかと書きました.
しかし,インスリン感受性は,OGTT結果から簡単に推測できるものではなく,現在のところクランプ試験しか手段がないのですが,それが BMI・中性脂肪・HDL,つまりある時点での1回の検査結果から かなりの精度で推測できるのであれば福音です.
SPISE値はどれくらいあればいいのか
SPISEは,低ければインスリン感受性が低い,高ければインスリン感受性が高いことを意味します.元の論文では SPISE=6.61をCutoff,つまりこれを下回るとインスリン抵抗性発生としています. しかし,これは欧州の成人及び少年のデータから導き出されたものなので,インスリン体質の違う日本人,特に痩せ型の人には,低すぎると思います. その理由は以下の通りです.
日本人に適用してみると
今回の糖尿病学会で,このSPISEを日本人で調べてみた報告がありました.
[第62回JDS 学術集会 1-5-9] 『肥満糖尿病,非肥満糖尿病における糖尿病発症前のインスリン感受性の変動』
純民間としては日本屈指の大病院である相澤病院( 松本市 )で,2005-2016年に健康診断を受診した26,913名の過去データを分析したところ,肥満(BMI>=25)の人は,もともと SPISEが低く(~6前後),非肥満の人はSPISEが高い(8.17~8.9)のですが,糖尿病型を発症した9年間の間に,肥満の人は その数年前から SPISE値が大きく低下していたことがわかりました.
9年間のSPISE変化 | 変化量 | |
肥満:糖尿病発症せず | 6.37 → 5.96 | -0.41 |
肥満:糖尿病を発症 | 5.9 → 5.27 | -0.63 |
非肥満:糖尿病発症せず | 8.90 → 9.03 | +0.13 |
非肥満:糖尿病を発症 | 8.17 → 8.26 | +0.09 |
しかし,非肥満の人ではこのような低下はみられませんでした. 相澤病院の学会報告は,ここまでが結論でした.
SPISEの絶対値を見ると
ただし,非肥満で発症した人は,発症しなかった人よりも もともとのSPISEが低かったことは上の表から明らかです.よって,この結果を見ると,非肥満の人はSPISEが9.0を大きく下回っていると発症しやすいと読み取れます.
また肥満の人では,欧米人型に似たインスリン抵抗性が主体ですから,上記文献の SPISE=6.61という Cut Off値はそのまま適用できそうです.
以上の結果から,肥満の人は,SPISE=6くらいまでは糖尿病にならないが,痩せ型でインスリン分泌の少ない人は,SPISE=9を大きく下回ると糖尿病リスクが高まるものと思えます.
相澤病院の相澤徹先生は,おそらくこの結果を受けてでしょうが,いくつかの他の症例報告口演後の質疑でも,さかんに『(インスリン抵抗性だけでなく)もっと Glucose Effectivenessに目を向けることが必要ではないか』とコメントしておられました.
自分のデータで検証してみました
そこで,過去の定期健康診断データを引っ張り出して,自分自身のSPISE値の変化を追跡してみました.
驚きました. 自分が糖尿病一歩手前だと気づいたのは,定期健診結果を受けて産業医から警告された2009年だったのですが(その時は糖尿病の知識はゼロでした),実はその10年以上前,1998年頃から私のSPISEは9.0を下回っていました. そして,学会のパンフにあった食品交換表通りのカロリー制限食は かえってSPISE値をやや悪化させたことも,糖質制限食に切替えてからは9.5以上と急速に回復したことも,この経過から明らかです.
SPISEはインスリン感受性に相関しますが
マーカー指標の常として,注意すべきことがあります. それは, SPISEはインスリン感受性と相関がみられるというだけであって,インスリン感受性の測定値そのものでも,換算値でもないことです.
応接室の優勝トロフィー
ゴルフ好きの人のお宅にうかがうと,応接室にズラリと優勝カップやトロフィーを飾ってあることがありますが,
ゴルフコンペで何度も優勝したということは,ゴルフが上手いということでしょう.したがって,「応接室の トロフィーの数」は,「ゴルフの腕前」と相関関係があります.
ですが,だからと言って,私がトロフィーをたくさん買ってきて応接室に並べれば,私のゴルフの腕前はその日から上がるでしょうか? もちろん違います. 「ゴルフがうまい」という原因があって「優勝トロフィーをたくさんもらった」という結果があるのであって,その逆ではないからです. この例のように,相関関係は因果関係を証明するとは限りません.
SPISEでインスリン感受性をモニターする
「血圧の 低い人は心疾患が少ない」,これは正しいです.しかしだからといって「薬で無理やり血圧を下げれば,生まれつき血圧の低い人と同様に心疾患を起こしにくくなるはずだ」とは限りません. 同様に;
「SPISEが高い人は糖尿病を発症しにくかった 」これは正しいです.
しかし,それを逆にして,たとえば「(そういう薬があったとして)薬などで無理やりHDLを上げればSPISEが上昇するのだから糖尿病になりにくくなるだろう」かと言えば,それは保障されません.
あくまでも,食生活・日常活動度の結果として SPISEが高く出るような体質にする必要があるのです.血圧と同じです.
したがって, 式の形からみて明らかですが,
肥満の人は BMIを下げる,つまり減量が有効です
SPISEを算出してみて,6を大きく下回るようであれば,やはり減量が必要でしょう.ただ肥満の人はむしろ減量という手段が残されている分,痩せた人よりも有利です.
一方 非肥満の人は
それ以上痩せるのは危険ですから,高いHDLと低い中性脂肪になるようなライフスタイルを実践するしかありません.
その手段としては,ランニングや筋トレなどは有効なのでしょうが,それだけというわけではなく,こまめに体を動かして,日常生活の活動度を上げることは有効でしょう.運動の効果は一朝一夕には出ないので,どうしても評価しにくいのですが,SPISEという数値でモニターできるのであれば,その効果を『見える化』できます.
糖質制限食で,ほとんどの人はHDLが(時に基準範囲の上限を越えるほど)上昇し,中性脂肪が大きく低下しますから,SPISEの動きからみて,理にかなったものだと思います. ちなみに 江部先生の SPISEは 最新の検査データ から算出すると,10.9という高い数字です.この状態が15年以上継続しているわけですから,SPISE値は 自分が糖尿病からどれくらい遠ざかるのに成功しているかのバロメーターにもなりそうです.
コメント
発症前からデータがあると興味深いですね。
わたしは長年検診を受けず、とことん悪化してから検査をしたので、このような変化を捉えることができません。
最新の検査結果(今年5月)で計算すると、SPISE = 11.02でした。
これは食後3時間半での検査値です。
空腹時と比べてTGが少し増えているので、SPISEは下がっています。
空腹時での検査結果(今年2月)で計算すると、SPISE = 13.10でした。
緩い糖質制限を始める前の検査結果(昨年2月)で計算すると、SPICE = 11.70でした。
BMIが18.5未満のやせ型だとすごく感受性が高いことになるけれど、標準体重の人でないと当てはまらない計算式なんでしょうか?
>BMIが18.5未満のやせ型だとすごく感受性が高いことになるけれど
そうなんです. この式の元になったデータは,欧州の標準体型成年と肥満の少年のデータベースなので,BMIの非常に低い範囲は外挿になっています. ですので,この式は 日本人のクランプ試験結果で修正されるべきだと考えます. そうするとBMIに対して極端に敏感に計算される傾向は,たぶんかなり緩和されるのではないかと思います.現状ではBMIが18未満だとよほどHDL,TGが悪くない限り高く出ます. おそらくこの論文の著者はそこに気づいているでしょうが,計算範囲内に含める必要を感じなかったのでしょうね.
>欧州の標準体型成年と肥満の少年のデータベース
なるほど、この集団であればかなりの精度で当てはめることができるけれど、日本人に多いパターンでは少し外れる可能性がありそうですね。
>この式は 日本人のクランプ試験結果で修正されるべき
どこかの施設がデータを集める際に、ボランティアとして参加できたら面白そうです。
予想外に低い値になってガッカリしたりして…
多分,ですが このSPISEという指標に注目した研究者もいるようですから,いずれ日本人のデータとの関係を検証する人が出てくると思います.
はじめまして。
江部先生のブログへのコメントで拝見いております。
60歳を超える糖尿人で、糖質制限(スーパー糖質制限)をして22ヶ月目です。
糖質制限(平均1食10g、30g/日前後)のみで、服薬なしです。
妻の大変強力なバックアップのおかげで、順調に改善しております。
大変参考になる記事を拝読いたしましたのでコメントさせていただきます。
この記事 ”SPISE”の値早速計算しました。
私は、BMI20前後の痩せ型です。
検診で糖尿発覚時(2年間)=6.38、6.48
糖質制限開始2ヶ月=8.3 (HbA1c=6.9)
糖質制限開始6ヶ月=10.71 (HbA1c=5.1)
糖質制限開始10ヶ月=10.03(HbA1c=5.6)
糖質制限開始21ヶ月=12.94 (HbA1c=5.3)
すごく相関性を感じる指標のようですね。 驚きました。
大変参考になりました。
これからも情報発信よろしくお願いします。
たしかに. HbA1cとみごとに相関していますね.
AとBは相関している.
AとCは相関している.
だから BとCには因果関係がある.
というのは,統計教科書で「やってはいけないこと」の例に挙げられるのですが,ただ日本人の平均血糖値はインスリン感受性がかなり支配している,というのはあながち的外れとも思えません.考えてみる価値のある方向ですね. データご提供ありがとうございました.