エビデンスの重みは

EBM : Evidence-Based Medicine

新聞や健康雑誌・書籍,そしてネット情報でも,『~にはエビデンスがある』などという表現がみられます.

試みに Googleで『糖尿病』AND『エビデンス』というキーワードで検索してみると;

約1,320万件もヒットします. 糖尿病だけに限っても,ものすごい数のエビデンスがあることになります.

エビデンスとは何でしょうか

これでしょうか?

それは 海老でんがな(←セルフ突っ込み)

『エビデンス(evidence)』は,日本語訳では『証拠』という意味合いが強いので,『エビデンスがある』とは,『決定的証拠が出た.これで真実確定!!』と受け止められやすいです. 実際,この表現を使う人は,そういう論旨で使っているのでしょう.

しかし,EBM=Evidence-Based Medicine でいう Evidenceにはそこまで強い意味はなくて,『主観的な主張ではなく,論拠に基づいた医療』というだけです. つまり,

  • この患者にはAの薬が最適だと【思う】のではなくて,
  • こういう(臨床試験などの)データがあるから,この患者にAの薬を投薬することには根拠がある

というだけの意味合いです. 当然 別のデータを持ってくれば,それはそれなりに『根拠に基づいた医療・投薬』は成立します.あるいは 根拠として用いた元データが結果的に間違っていたとしても,一応『根拠を提示した主張』ですから,形式的にはEBMです.

例をあげましょう

この記事でも紹介しましたように,『臨床試験結果などの科学的・客観的なデータ』というものは,厳密に試験を行うために 対象患者を厳選しています.つまり非常に限られた患者群を対象にして,二重盲検法( Double-Blinded)で,投与する医師も 投与される患者も,それが本当の薬なのか,それとも外見はそっくりの偽薬(プラセボ)をのみ比べて,効果があるかどうかを判定します.

その結果,偽薬を投与された人は 効果ゼロで,本物の薬を投与された人は一人残らず全員にすばらしい薬効がみられた,これならまったく問題はありません.

しかし実際にはそんな例は皆無で,ほとんどすべての場合,その薬を投与してみたら;

  • [期待される効果が見られた人]
  • [まったく変化がなかった人]
  • [かえって悪くなった人]

混在しているのです.

投与した全員に顕著な効果がみられなければダメだ,と言ったら 新薬なんて永遠に出てきません.

なので,バラツキや偶然を排除してその平均をとって,【統計的には有意差があった】,つまり全体としてみればその薬の有用性が確認された,これが臨床試験や治験などの【エビデンス】です.

したがって,下のように 平均値では HbA1c=8.7%を 8.1%にまで低下させた すばらしくよく効いた薬,つまり『エビデンスのある薬』でも,

[注]この図は,実際の臨床試験データではなく,モデル図です.

実際には,よく効いた人,全然変わらなかった人,かえってHbA1cが悪化した人が混在しているのです.

事前に厳密に対象患者を選定してバラツキを最小化したつもりでも,こうなるのが普通です.

なので,もしも『この薬にはエビンデスがある』=『この薬は誰に投与しても必ず効く』と信じ切った医師が,すべての患者に手当たり次第に投与したらどうなるかは容易に想像できます.

エビデンスは『平均』です

そうです,『エビデンスがある』『統計的有意差があった』は,平均値の話なのです.

あるいは『おおまかな全体傾向はこうだった』と言ってもいいでしょう.

ただ一人の例外もなく全員に有効であった,とは証明されていないのです. もしも一人残らず有効であったのなら,何も平均値などとる必要はないはずです.効く人も効かない人もいたから,平均値で判定したのです.

エビデンスというものは,個人のデータを統計の波に埋もれさせているのです.

しかし,学会の報告や シンポジウムの討論など聴いていると,『エビデンス』=『全員に有効と証明された』と思い込んでいるのではないかと,背筋が寒くなる発言をする医師もいます. 医師ですらそうであれば,新聞・雑誌・テレビの記者など もう無条件にそう信じてしまうのは むしろ当然でしょう.

この記事[別館]にも書きましたように,メディアが報道する健康関係の記事には,こういうパターンが多いのは,『エビデンス』『統計的有意差』の意味を記者が理解できなかったからです.

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