1965年という時代は
1965年は,その前年に東京オリンピックが開催され,高度成長の開始とあいまって,目に見えて生活がよくなってきたという実感が感じられる年でした.おそらく日本人の『夢と希望』が最大だった年かもしれません.
それを裏付けるように,この年には日本人の海外渡航制限が解除され(★)日本航空が 初の海外旅行パックツアー JALパックを発売しました.
当時はコロッケ1個が20~30円,大卒初任給が 2万4千円の時代に,欧州16日間のJAL-PAKが67万5千円でしたから,もちろん相当 お金持ちでないと行けませんでしたが,それでも奮発すれば庶民でも海外旅行に行けるようになったのです.
(★)もっとも 外貨(=ドル)は,まだまだ貴重だったので,1回の持ち出しは500ドル(当時のレートで 18万円)までと制限がありました.
既に1961年には大衆車としてトヨタのパブリカも発売されており,日本人があこがれ続けてきた『アメリカ人の生活』に手が届き始めた年でもありました.
1965年 栄養調査
この年の厚生省栄養調査を,1955年と比較してまとめると以下の通りです.
敗戦直後には 主食の半分以上を占めていた芋類は激減しました.穀類の消費量はあまり変わっていませんが,酪農製品・肉類の消費が大きく増えました. 総カロリーもほぼ充足しており,ようやく日本人は食うや食わずの時代を脱することができたのです.
しかしながら,カロリー比でみるとこの通りで,現在から見れば 1955年(2,104 kcal)と1965年(2,184 kcal)では あまり変わったようには見えません.
厚生省の認識
この栄養調査の結果を,厚生省(当時;現 厚労省)はどう評価していたのでしょうか? 当時の厚生省 担当官はこう述べています
- 次に食糧消費の動向についてみると,穀類,芋類など澱粉性食品が年々減少し,肉・卵・乳類等の畜産食品や果実類,各種の嗜好食品,飲料等の消費が漸次増加する傾向を示している. このような現象をとらえて,近年は各方面で,食生活の近代化又は洋風化といった言葉もしばしば聞かれるようになってきた.
- しかしながら,食糧消費の内容は改善されてきたとはいうものの,これはあくまでも日本人の過去の食生活と比較した場合であって,栄養的に望ましい食糧構成または 欧米先進諸国の食糧消費水準と比較した場合には,著しく低水準にあることを見逃してはならない.
- すなわち,穀類が減少しているとはいっても,内容的には大麦と雑穀の減少であり,米の摂取量には大きな増減はなく,依然として日本人の食生活構造の特質ともいうべき 米食偏重の食習慣は改まっていない.
- また近年増加が著しいとされる畜産食品にしても,過去の微量な摂取に比較してのことであり,昭和40年の国民平均1人1日当たりの動物性食品摂取量は,魚76グラム,肉29.5グラム,卵35.2グラム,牛乳48.8グラムとわずかなものにすぎない.
- 特に農家世帯や低所得階層あるいは郡部における畜産食品と果実類等の摂取量は,全国平均の摂取量に比べて大幅に下回り,食生活の近代化,高度化とはほど遠い摂取水準にある.
- このように国民の食生活は,食糧消費の面で,良質蛋白質源となる畜産食品やビタミン源となる野菜,果実類が不足しており,栄養的に不合理な点が多々残されている.
目標とすべきは『近代化・高度化された欧米先進諸国の食糧消費水準』であって,現状は 米食偏重の不合理な食生活であると断じていたのです.
このような時代背景のもとで,既に1958年に発足していた日本糖尿病学会が,食品交換表(第1版)を発表しました.
[6]に続く
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