医師は患者から正確な事実だけを聞き取ればそれで充分であり,それ以外の患者の『たわごと』は聞く必要も時間もない
非常に 意地悪な表現ですが,しかしこれが典型的な医師の心理でしょう.なぜそうなのでしょうか?
チコちゃん風に表現すれば
どうして,医者は糖尿病患者の話を聞こうとしないのか?
それは.....『自分の話を聞いてほしい』と思う糖尿病患者はほとんどいないからぁーー
だと思います. たまに長話をする患者がいたとしても,それは孫の自慢だったり,どうでもいい昔話だったりと,医者からすれば,ジリジリして話が終わるのを待つ,診療時間の無駄遣いにすぎないのでしょう. だから,医師は 患者が何か話したそうにしていると感じても,「どうせろくでもない話をまた...」となってしまうのだと思います.
もちろん,糖尿病をテーマにブログを立ち上げている人は,実はもうそれだけで,糖尿病について情報を集め,勉強し,自分で考え,自分でもなんとかしたいと思う気持ちがある人です.しかしそういう方々は 日本で現に通院している糖尿病患者約300万人からみれば,ほぼゼロに等しい存在でしょう.医師からみれば,自分の病気なのに,糖尿病がどういう病気なのかすら理解していない人がほとんどなのですから.
患者が「考えている」「糖尿病をくわしく理解している」,それだけで想定外の事態なのです.ただ,それでも「ま,感心な患者だが,しょせん素人学問だろう」と思うだけです.
であるとすれば,その固定観念を逆について こういう作戦が可能ではないでしょうか.
何かのご参考になれば
何とかして,医者に『この患者の話すことを少し聞いてみたい』と思わせることです.ホリデー様のブログにもこう書きましたが;
伝わる内容 = わかりやすさ係数(f1) × 相手の興味係数(f2) × 伝えたい内容(W)
この式で, f1 = f2 = 1 の場合にのみ,相手に『伝わる内容』=『伝えたい内容』となります.しかし,実際にはそんなことは稀で,たいていは f1もf2も 1より小さいことがほとんどでしょう. 例えば f1=0.3, f2=0.3であれば,Wが100でもその掛け算の結果は9であり,『思っていることの1割も伝わらない 』 ことになってしまいます.
では, f1,f2を1に近づけるためにはどうすべきでしょうか?
ここで間違えてしまうのは,『わかりやすい』『興味深い』の意味です. 自分からみて「わかりやすい」「おもしろい」ではないと思います.医師の立場で「医師にわかりやすく」「医師が聞いてみたいと思う」,この2つが必要だと思います. 素人からみて難解であっても,医師にはその方がわかりやすいということはありえます. 逆に 素人にはわかりやすいが,医師からみると冗長でわかりにくいということも.
f1,f2を工夫して,極端な話,医者に対して,自分の話を『聞いてもらう』のではなく,『聞かせてやる』立場にもっていくのです. もちろん,突然 そういう状況にもっていこうとしても反感をかうだけですから,焦らずにジワジワとやります.
通院・診察の都度 チラチラと自分のデータを整理・分析したものを小出しにして,『何かのご参考になれば』とでも言って,何も言わずに帰る,などと言った手法です. 医者は忙しいのですから,まずそんなものまともには見ないでしょう. したがって,よく読まないと理解できないようなものではなくて,一目みただけでわかりやすく,『お,これは?』と思わせぶりな書類を残して『さようならー』と帰っていくのです.
私の手口
何とか医師とフランクに話せる関係を作ろうとして,私が実際にとった手法です. もちろん,これは しらねのぞるば流,つまり 社内では 厚かましくて,すぐに『知らねぇ』とふてくされることで有名なので,それを逆手にとった手法です. 誰にでもおすすめというわけではありません. 各自 自己流を編み出してください.
糖尿病専門医なら,よほど不勉強でない限り,誰でも知っている有名な論文と,自分のデータとを対比させた,こういう資料をよく作りました.
Lorenzo教授の有名な論文(San Antonio Heart Study)のタイトルを上半分に,そして この論文に対応する自分のデータをグラフにして,下半分に貼り付けたものです.医師の目を惹くために,わざと日本語は使っていません.説明文を書いても,どうせ読まないので グラフだけです.
このやり方のメリットは,
- テレビや民間健康雑誌の安っぽいメディア情報に踊らされているアホな患者ではなく,論文を読む患者である
- 自分のデータと対比して考えるほどには,論文を理解している
と 思ってもらえることです. 何度かこれをやっていると,さすがに医者の方でも「よく勉強しているんですね」などと,お世辞で話しかけてきます.そこで,「ええ,まあ少しずつですが. 難しくてよくわからないんですが」と,いったんへりくだっておいて,「そういえば,今年の糖尿病学会でこんな話を聞いたんですが..」などとやると, 座りなおして 真面目に話を聞いてくれるようになりました.
もちろん,やり方は 人それぞれです. ただ,「この患者は真剣に糖尿病に取り組もうとしているのだな」と感じれば,医師もプロです,かならず 話は聞いてくれるようになると信じております.
【完】
コメント
患者にも千差万別あると思いますが、医師にも当てはまるんですよね。
診察室に入って急に矢継ぎ早に質問するのも何だし、もしかしたら医師が考える時間がないとテキトーな答えをされるかもと思い、質問や困っている事を紙に書いて受付で先に渡したりしますが、目を通して診察室に呼んでくれる医師と、全く見ずに呼ぶ医師といます。
医師も同じような病気の患者を次々見ていると、単に消化しているだけになるのでしょうか。忙しいし、仕方ないかも知れない。医学部に行けない以上、所詮素人考えの域は脱出できないのですが、当の本人は深刻なんですよね…。個々の環境に加えて、いろんな思いや考えがあって。そこを専門家に頼るわけですが、あまりに軽くあしらわれてしまうと、思考の行き先を失い、頭の中は堂々巡りになったりします。
医師の事情もよくわかります.
次々と押し寄せる患者を テキパキと診察・治療してこなしていく,もうこれだけで 手一杯なのでしょう.医師の方でも,何が何でも患者の声に耳を閉ざしたいのでなくて,時間の余裕さえあれば聞く気はあると思います.
したがって,より根源を突き詰めると,国民の責任でしょうね. ちょっとしたことでも気軽に病院にかかってしまう,これが結局 自分にはねかえってきています. もっともその『ちょっとしたこと』かどうかは,医師でないと判断できない,素人判断するな,というのも医師の立場ですので,どっちもどっちです.