『しらねのぞるば』の由来を記事にしたところ,
楽天的になれるにはどうしたらいいか
という問い合わせをいただきました.
『糖尿病医療学』の記事 で,『患者はただ医師のの言うがままでなく,自立して決断だけは自分ですべき』と書きましたが,これは孤独になれという意味ではありません.むしろ逆だと思います.
自分を取り戻してこそ
自分が糖尿病一歩手前と気づいた時に,糖尿病の本や文献を読み漁ったり,学会に参加して情報を集める,できるだけ体を動かす等々,自分でできるありとあらゆる糖尿病対策を始めました.
しかし同時に,もう一つ始めたことがありました.
重要な決断
それは『会社離れの準備をする』ということでした. とうに定年は過ぎているのに,もう1年もう1年と言われるままに仕事を続けているのは,それだけ頼りにされているのだという充実感,そして年金に頼らなくても収入もあるわけで,まことにありがたいことではあります.
しかし,これでいいのかという思いもありました. もしも今やっている糖尿病対策が失敗したら,仕事は続けられなくなるわ,ただ病院通いだけの毎日になるかもしれない. それで いったい何が残るのだろうかと.
そこで,死ぬまで会社生活が続くわけはないのだから,いつかは会社とは何の縁もない自分だけの生活になることを見据えて,徐々に『会社離れ』を開始しました.会社を離れた後,病気をかかえたまま「濡れ落ち葉族」 になるのだけはまっぴらごめんでしたから.
会社には申し訳ありませんが,仕事をおろそかにしない範囲で 『自立』の準備を始めました.自分が本当にやりたいこと,かつてやりたくても果たせなかったこと,更には 気には留めたものの 多忙を言い訳にして深く考えなかったテーマなどに取り組み始めました. 会社を終えた後,仕事とはまったく関係のない勉強会(*)に参加してみたり,若い頃の趣味(考古学,ジャズ)に再び本腰を入れて取り組む準備などです.
(*) 職場近くのオフィス街で,『絶対に仕事には役に立たないことを大真面目に追及する勉強会』というものにも参加しました.研究テーマの一例としては『ウィンナワルツは,なぜウィンナワルツなのか』がありました.オーストリアの首都 ウイーンでは宮廷舞踏で 独特のワルツがあります. ワルツとは3拍子の音楽で,ウィンナワルツもそうなのですが,年末の『ウィーンフィル ニューイヤー コンサート』を聴くとわかるように,3拍子の1拍目を短く,2拍目をつっかけるように早く演奏するのが特徴のワルツです. なぜそうなったのかを調べるべく,ウィーンまで『調査団』を派遣しました. もちろん,単に飲んだくれに行っただけですw
会社を定年退職しても,OB同志で一生の付き合いを続けている人もたしかに多いのですが,しょせん会社とは利害で結びついた集団です.そして会社生活で培った人脈というものは,実は 一歩会社の外にでると,跡形もなく消えてしまうのです.
「挨拶状700通に返事ゼロ」退職者が味わう絶望 名刺人脈はまったくアテにならない
President Online 2019/11/8
結局は 人とのつながり
時間を十分かけたおかげで,「社会のためになる」「他人を助ける」などと高尚なことは考えず,しかしながら他人迷惑を省みず「自分の身勝手を押し通す」ほどの我儘にもならず,多数の方と ほどよい人付き合いを得ることができています. 歴史・考古学が趣味の人とのつきあい,音楽演奏の同好会など,その都度 頭を切り替えてアホなことを言ったりやったりしております.
このブログを始めたのもその一つです.ブログでは,顔を合わせることはないものの,多くの人から意見をいただいております.「そんな視点もあるのだ」と感心することも多いです.
「糖尿病をくい止めるための悲壮な健康対策」 から始めたのですが,それが糖尿病を研究することになり,さらには「自分の世界をひろげるテーマ」になっています.
孤立しては ,あらゆることが さらに解決困難になってしまいます.
ゾルバのように踊ることです.
コメント
『患者はただ医師のの言うがままでなく,自立して決断だけは自分ですべき』
そうです。楽天家は、能天気にぼーっとしてるのではないと思います。
「自立した決断」とは、そこに至るまでにあらゆる状況を想定し、情報収集し、今できるすべてを尽くした「結論」だと思うのです。
だから、それ以上は成り行きに任せ、「後は神のみぞ知る」境地になれるのだけれども、この最後の部分だけを見ると楽天的に見えるのではないかと思うのです。
冒険家は、臆病である(あれ)と聞いたことがありますが、臆病ゆえにあらゆる状況を想定して準備をします。
だからこそ、失敗は少なくり、サバイバル的状況も想定内で落ち着いて生還できると言う事です。そうでなければ冒険ではなく、ただの無謀だと。
楽天家もそうでなければ、ただの能天気かと。
「自立した決断」であれば、失敗しても後悔することもなく、全ての結果を自己責任として受け入れられます。いや、そこに失敗と言う状況(感覚)は存在しないのかもしれません。
それは失敗ではなく、緻密に計画したことを実行したら、想定とは違う結果になったと言うだけのことで、偶発的ではなく緻密な計画の結果であれば、それは想定とは異なる新事実の発見になるわけです。
失敗ととらえるか新事実の発見ととらえるかが、楽天的か否かの分かれ目だと思います。
糖質制限も失敗すれば、新事実がわかるかもしれません。うまくいっている時には、新事実の発見はないのですから。
私も結構、楽天的(笑)
「自立している」とは,「自分の考えを持っている」ということだと思っています. ただし「自分の考え」が単なる思い込みではないか,という点はいつも自問しています.軸がしっかりしているのなら,先行きに危険があっても,それは予想されたことなので過度に不安にはならない,という意味において『楽天的』ではあります.
蛇足:「楽天的になるにはどうすれば?」という質問に,「楽〇カードを持ったらどうですか?」という回答が出かかったものの,寸前で思いとどまりましたw