公平に扱え

『生物の進化は突然変異に自然選択が作用したものだ』という現代の進化論に対して,インテリジェント・デザイン説(ID説)は 『生物は信じられないほど複雑・精妙に作られているのだから,ランダムな突然変異ではこんなことは起こりえない. それは未知の高度な知性が設計したものだ』という主張です.

ID説を強力に提唱する 米国のDiscovery Institute という団体は,『ID説は ダーウィンの進化論と並んで,科学的な学説の一つなのだから,差別せずに両方の説を 公教育で教えなければならない』と主張します.

ID説のミソは『神』『創造』など,聖書に登場した言葉は一切使わない点です.しかしながら ただ『神』を『高度な知性』に,『創造』を『デザイン(設計)』と,言葉を置き換えただけです.その証拠に『高度な知性』がどうやって複雑な生命の仕組みを作り上げたのか,一切説明しません(できません).

聖書ではなく,科学的な理論の一つにすぎない,ということを装うためです.そうすれば 1987年の米国最高裁判決を根拠として,進化論とID説とはどちらも生命科学の学説なのだから平等に扱えと要求できるからです.

某新聞のスタイルを真似て例えれば,こういう感じでしょうか.

『月には生命は存在しない』というのが従来の学説だ. だがちょっと待ってほしい.『月にはウサギが住んでいる』という説もあるではないか.これも立派な学説なのだから対等に取り扱うべきだ.

と言っているようなものです.

(C) 自由ロボットマン さん

もちろん 進化論とID説の両方を 公平に学校で教えるべきだ,というのは方便です.

進化論とID説の両方を教えることが法律で義務化されたら,そんなヨタ話を子供に教えるわけにはいきませんから,結局は両方とも授業で取り上げなくなる,すなわち進化論は授業で教えられなくなります. ID説の提唱者は,(その主張に反して)何も両方が平等に教えられることを目指しているのではなく,ダーウィンの進化論が授業で教えられないようにすれば,それで目的を達成できるのです.

やはり宗教だ

2004年8月 ペンシルバニア州 ドーバー(Dover)学区の教育委員会は, 高校の授業で 通常の生物学の教科書(“Biology” ;Miller K.R. & Levine J. )に加えて,副読本として ID説を主張する 『パンダと人々について』(“Of Pandas and People: The Central Question of Biological Origins”; Davis P. )を採用することを決定しました.

ところが,現場の教師は, 『パンダと人々について』は教科書ではなく副読本にすぎないからと,まったく無視して 授業ではまったく使いませんでした(そりゃそうでしょう).

これに業を煮やした Dover学区教育委員会は,『ダーウィンの進化論には多くの欠陥(Gap)があるが,それはID説では説明されている』という声明文を,生物の授業の冒頭に教師が読み上げることを義務付けました(2005年1月). これも現場の理科教師が拒否すると,学期の最初の日に 学校の管理職がわざわざ 教室を回って 以下の声明文を生徒全員の前で読み上げ始めました.

  • The Pennsylvania Academic Standards require students to learn about Darwin’s Theory of Evolution and eventually to take a standardized test of which evolution is a part.
  • Because Darwin’s Theory is a theory, it continues to be tested as new evidence is discovered. The Theory is not a fact. Gaps in the Theory exist for which there is no evidence. A theory is defined as a well-tested explanation that unifies a broad range of observations.
  • Intelligent Design is an explanation of the origin of life that differs from Darwin’s view. The reference book, Of Pandas and People, is available for students who might be interested in gaining an understanding of what Intelligent Design actually involves.
  • With respect to any theory, students are encouraged to keep an open mind. The school leaves the discussion of the Origins of Life to individual students and their families. As a Standards-driven district, class instruction focuses upon preparing students to achieve proficiency on Standards-based assessments.
  • ペンシルベニア州教育基準では、生徒にダーウィンの進化論について学ばせ,最終的には進化論が含まれる統一テストを受けさせると定めている.
  • ダーウィンの理論は理論の一つであるから,新しい証拠が発見されるたびに常に検証される.しかし理論は 事実とは限らない.理論には,証拠に裏付けられていない(事実との)ギャップが存在する.理論とは、広範な観察を統一する十分に検証された説明として定義されている.
  • インテリジェント・デザインは,ダーウィンの見解とは異なる生命の起源の説明である.インテリジェント・デザインが実際にどのようなものかを理解することに興味のある学生には,参考書『Of Pandas and People(パンダと人間)』が用意されている.
  • どのような理論に関しても,生徒はオープンマインドであることが奨励される.生命の起源についての議論は,個々の生徒とその家族に委ねられている.教育基準を重視する地区として,授業は教育基準に基づいた評価で生徒が習熟できるようにすることに重点を置いている.

ここに至り,ついにDover市民の代表が 教育委員会(Dover Area School District)を相手取って,学校で宗教教育は許されないという訴訟を起こしました.
この裁判(Kitzmiller vs. Dover)は,ID説は本当に科学なのか それとも宗教なのかが真正面から争われたものです.

Kitzmiller v. Dover Area Schhol District, 400 F Supp. 2d 707 (M.D. Pa 2000)

被告のドーバー学区教委は,この裁判に確実に勝てると信じていたようです. なぜならMichael Behe 博士 ,そう,高名な生化学者であり,あの『ダーウィンのブラックボックス』の著者であるBehe博士が被告側証人として出廷することに同意してくれたからです.

原告側も進化論,生物学者の専門家を証人として立てる予定でしたから,どちらの証人も科学者なのだから,『進化論が科学なら ID説も同様に科学である』という構図が明確になるだろうと期待したのです.

ところが,この裁判のJones判事(John E. Jones III)は,ID説が 本当に科学的な学説なのか,Behe博士を鋭く問い詰めました.

Moreover, in turning to Defendants’ lead expert, Professor Behe, his testimony at trial indicated that ID is only a scientific, as opposed to a religious, project for him;
however, considerable evidence was introduced to refute this claim.
Consider, to illustrate, that Professor Behe remarkably and unmistakably claims that the plausibility of the argument for ID depends upon the extent to which one believes in the existence of God.

さらに,被告の筆頭専門家であるBehe教授に目を向けると,彼は『彼にとってIDは宗教的なプロジェクトではなく,科学的なプロジェクトに過ぎない』と証言している;
しかし,この主張に反論する証拠が数多く提出されている.
例を挙げれば,Behe教授は『IDの議論の妥当性は,神の存在を信じるかどうかによって決まる』と驚くほどはっきりと主張している

Kitzmiller vs. Dover P-718 at 705

裁判は結審し,Jones判事は,ID説はまったく科学ではないという判決を出しました.被告ドーバー学区教委側は愕然としたでしょう.

(C) ACworks さん

Jones判事は,ID説を科学と認められない理由をこう説明しています.

Whether ID is Science
After a searching review of the record and applicable case law, we find that while ID arguments may be true, a proposition on which the Court takes no position, ID is not science.
We find that ID fails on three different levels, any one of which is sufficient to preclude a determination that ID is science.
They are:
(1) ID violates the centuries-old ground rules of science by invoking and permitting supernatural causation;
(2) the argument of irreducible complexity, central to ID, employs the same flawed and illogical contrived dualism that doomed creation science in the 1980’s;
and
(3) ID’s negative attacks on evolution have been refuted by the scientific community. As we will discuss in more detail below, it is additionally important to note that ID has failed to gain acceptance in the scientific community, it has not generated peer-reviewed publications, nor has it been the subject of testing and research.
 
ID説は科学か否か
記録と適用される判例を精査した結果,ID説の主張が真実であるかどうかについては当裁判所は関知しない. しかしID説は科学ではないと判断する.
われわれは,ID説が3つの異なるレベルで科学たる条件を満たしておらず,そのうちの1つでも,ID説が科学であるという判断を妨げるのに十分であると判断する.
それらは以下の通りである:
(1) ID説は,超自然的な因果関係を持ち出し,それを許容することによって,何世紀にもわたる科学の基本規則に違反している;
(2) ID説の中心である不可逆的複雑性の議論は,1980年代に創造科学が破綻したのと同様,欠陥のある非論理的な二元論を採用している;
そして
(3)進化論に対するID説の否定的な攻撃は,科学界によって反論されてきた.後ほど詳しく述べるが,ID説は科学界に受け入れられておらず,査読付きの出版物もなければ,テストや研究の対象にもなっていない.

最後の文で,本当に科学ならば,1編の論文も存在しないのはおかしいではないかと指摘しています.

この判決は原告側完全勝利ですから,もちろん原告は控訴しませんでした.ところが被告側の教委も,全面敗訴であるにもかかわらず,控訴しませんでした. したがって これで判決は確定しました.

この理由は,おそらく この地裁判決を不服として控訴し最高裁まで争った場合,そこで違憲判決を出されてしまうと,効力が全米に及んでしまうことを回避したかったからでしょう. このペンシルバニア州 地方裁判所の判決だけであれば,その効力は(原則的には)ペンシルバニア州の外には影響しないからです.

とは言え,強力な証人をたてて争ったにも関わらず,ID説を全面的に否定する判例が出たことは,致命傷に近い深手を負ったわけです.

[続く]

コメント

  1. highbloodglucose より:

    進化論の弱いところは、実際に生物種が進化して別の種に変化する瞬間を観察できない点ですかね〜?  微生物レベルでは、突然変異で新たな形質を獲得することは観察できますが、これだって「別の種」になるわけではありません。

    一方、ID論の弱いところは、創造主(高度な知性の存在)を証明する手段がないことでしょうか。「地球上に多様な生命体が存在すること自体が、高度な知性の存在を証明している」では、証明したことにはならないと思います。それ以外の証拠が必要でしょう。
    本当に今でも高度な知性が存在しているのであれば、目の前に急にポンと新たな生命体が出現してもおかしくないはず。もしかして、新型コロナウイルスは既存のコロナウイルスが変化して出現したのではなく、高度な知性が新たに作り出してこの世に出現したのでしょうか? だとしたら、高度な知性はどんな意図で新たなウイルスを作り出したのでしょうね。いわゆる、驕り高ぶった人類への罰でしょうか。

    本当に高度な知性が存在しているのであれば、かわいくて素敵な生き物をもっとポンポン作り出してほしいなぁ。あるいは、二酸化炭素などの温室効果ガスをあっという間に固定してくれる生物とか、プラスチックをあっという間に分解してくれる生物とか。
    今のところ地球上にはDNAを遺伝情報として利用する生物しか存在していないようだけれど、なぜ、もっと多様な生物が存在していないのかしら? 高度な知性なのだから、もっといろいろな生物を簡単に作り出せると思うのに…

    • しらねのぞるば より:

      >進化論の弱いところ

      私は 『カンブリア起の爆発』だと思っています. その前のエディアカラ生物群で登場した生物は,どうみても 単細胞を寄せ集めて多細胞生物を作ってみました,と言わんばかりの単純なものだったのに,カンブリア紀には 明確に機能分化した体節を複雑に組み合わせた生物が登場しました. しかも最初から相当高度に完成した『眼』まで持っています. 他の生物を餌にする『補食生物』はエディアカラ生物群には存在しませんでした. 明らかに ここには飛躍がありますから.