お経が救うもの

極楽浄土はディズニーランド?

私の親戚に浄土宗の住職がいました. ここには子供がいなかったので,私を養子にもらえないか,という話があったようです. 実際 まだ小さい頃からその寺にたびたび行かされました.もちろん住職夫婦は大歓迎でお菓子をくれたり,またお経も随分読まされました. といってもまだ小さかったので厳しく覚えこませるということはなく,今で言うゲーム感覚で住職が面白おかしく教えてくれました.さらに時々は 檀家の集まりで実際に読経の真似事などさせてもらいました 檀家の人が可愛いと大喜びするので,私も気をよくして般若心経や仏説阿弥陀経などをそらんじてみせるなどしていました. 今思うと たくみに誘導していたのですね.

(C) しらた さん

しかし,どうやら そのお寺には別ルートで養子が入ったらしく,私が中学校に上がる頃には呼ばれなくなりました.あのままいっていたら,今頃はあそこの住職になっていたのでしょうね.そして寺の後継者を探すのに奔走しているのかも.あるいはとっくに引退して『しらねのぞるばの仏法ブログ』三昧かもw

そこで今でも部分的には覚えているお経『仏説 阿弥陀経』ですが,これはもう極楽浄土のトラベルツァーガイドです.

『ディズニーランドとは どんなところですか?』と尋ねたら どう答えますか? 目もくらむような美しい建物と,びっくりするほど楽しいアトラクションがあり,華やかな光と音楽と共にエレクトリカルパレードも行われる...などと答えるでしょう.

(C) KAZFullmoon さん

仏説阿弥陀経も それと同じです.極楽浄土のありさまをこのように説くのです.全文1,857文字もありますが,一部を見るだけでも;

又舍利弗 極楽国土 有七宝池 八功徳水 充満其中
池底純以 金沙布地 四辺階道 金銀瑠璃 玻瓈合成
上有楼閣 亦以金銀瑠璃 玻瓈硨磲 赤珠碼碯 而厳飾之
池中蓮華 大如車輪 青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光 微妙香潔
舍利弗 極楽国土 成就如是 功徳荘厳

 また,舍利弗(しゃりほつ=弟子の名前)よ.極楽浄土には,七つの宝(金・銀・瑠璃・水晶・赤真珠・碼碯・琥珀)の池がある.八つの功徳(澄浄・清冷・甘美・軽軟・潤沢・安和・飢渇の除去・健康増進)の水が,その中になみなみと満たされている.
 池の底には純金の砂が敷かれている.池の四辺の階段は,金・銀・瑠璃・水晶からできている.
 階段の上には楼閣があって金・銀・瑠璃・水晶・琥珀・赤真珠・碼碯で厳そかに飾られている.
 池には車輪のように大きい蓮華(=ハスの花)も咲いている.その上,青色の蓮華には青光,黄色の蓮華には黄光,赤色の蓮華には赤光,白色の蓮華には白光があって,さまざまな色の蓮華はさまざまな色で輝き,さまざまな色に見えている
 舍利弗よ,極楽浄土とは このようにすばらしく荘厳な世界なのだ.

絢爛豪華

衆生(=大衆)を仏教に帰依させるために,阿弥陀様を信ずれば このようにすばらしい極楽浄土に行けるのだと説いているのです.ですから このお経は 浄土のありさまを描写したツァーガイドです.浦安のディズニーランドの『まるで夢の世界に来たような』感覚から,子供のころに覚えた この仏説阿弥陀経の描写がふとよみがえってきました.

極楽って本当にあるのですか?』『極楽に行ったら実際はショボいんじゃないですか?』などと言っては身も蓋もありません.これは宗教なのですから. そう思う(=信ずる)ことによって 現実世界の悩みや苦悩から救われるのです.

西洋医学では,病気やケガを治せます. しかし,たとえば家族を亡くした時の悲しみは治せません. 宗教は心を治し癒すのです.

もっともそこにつけこむのもまた怪しい新興宗教ではあるのですが.

コメント

  1. highbloodglucose より:

    >『しらねのぞるばの仏法ブログ』

    これも面白いブログになりそう。ちょっと読んでみたいw

    浄土宗のお経は、極楽浄土のツアーガイドでしたか。いいですね〜
    南無阿弥陀仏と唱えることで誰でも極楽浄土に行けるなら、たとえ今この世が辛く厳しくとも、なんとか頑張って生きようという希望が芽生えそうです。

    うちは真言宗で、子どものころから母親が毎日仏壇でお経を上げるのを聞いていたのでお経には馴染みがあるのですが、その意味までは知りません。
    おんぼうじ しった ぼだはだやみ
    おん さんまや さとばん
    おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
    わけが分かりませんが、響きが楽しいので今でもふと唱えていたりしますw

    我昔所造諸悪業
    皆由無始貪瞋痴
    従身語意之所生
    一切我今皆懺悔

    これも意味も分からず唱えていましたが、調べてみると「私が、過去に行ったあやまちは、全て始めもわからない深い貪り、怒り、愚かさ(三毒)によります。それは、身体の行い、口の行い、心の行い(三業)から生まれ起きたものです。全てを、私は今、仏様に照らされて悔い改めます。」とのこと。
    げげっ、全然悔い改めてないわ。口先だけで唱えてた(爆)

    弟子某甲 (仏の弟子である私は)
    盡未来際 (果てしない未来までも)
    不殺生 (むやみに生き物を傷つけません)
    不偸盗 (ものを盗みません)
    不邪淫 (男女の道を乱しません)
    不妄語 (うそをつきません)
    不綺語 (無意味なおしゃべりをしません)
    不悪口 (乱暴なことばを使いません)
    不両舌 (筋の通らないことを言いません)
    不慳貪 (欲深いことをしません)
    不瞋恚 (耐え忍んで怒りません)
    不邪見 (まちがった考え方をしません)

    うっ、いくつか守れていない項目がありそう…
    これでは成仏できそうにないですね(汗)

    お経は「南無大師遍照金剛」で終わるはずなのですが、うちの母親はいつのころからか、このあとに「南無阿弥陀仏」と言うようになりました。
    それに気づいて、「うちは真言宗なのに、なんで南無阿弥陀仏?」と聞いたのですが、母親は答えることができず、ただ不機嫌になるだけでした。
    あんまりツッコむとまた「あんたは屁理屈ばっかり!」と言われるので、放置しています。

    • しらねのぞるば より:

      >その意味までは

      もちろんお経の原文を聞かされても ほとんどの人には理解できませんから,実際には お経の内容をわかりやすく解説する=法説話が僧侶の大事な役目でした.あの住職は実に話がうまくて,面白おかしくお経の内容を説明するので,特に印象が強く残ったのだと思います.

      >「南無阿弥陀仏」

      これも宗派によって,独特の節回しがあるのです. 五線譜では表現できない独特のメロディーで,音楽として聞いてもすばらしいです.しかも聞いただけで,同じ浄土宗でも宗派の違いがわかります.『あ,これは子どもの時に聞いたものと同じだ』とか.

      仏教に近づいたのは子供の頃のこの経験だけで,それ以降は 完全に理系の人生になったのですが,それでも大きく影響を受けています.この記事にも書いたように;

      https://ameblo.jp/shiranenozorba/entry-12643381452.html

      住職は『依法不依人』という教えを『仏法を人間が勝手に解釈・変更してはならない. エラい人の言うことでも いつも正しいとは限らないのだから』と正しく解説したはずです. しかし,私にはこの後半だけが強く記憶に残って『権威が ものごとの正誤を決めるわけではないでしょう?』という,生意気・不遜な人格ができあがってしまいましたw