11β-HSD1阻害薬はなぜ注目されたのか
1990年~2000年の状況はこうでした.
- メタボの人やストレスを受けている人では,副腎皮質ホルモンの一つであるコルチゾールが多い
- Cushing病の典型は内臓脂肪のみが肥大する症状だが,この病気ではコルチゾールが異常に多く分泌されている
- コルチゾールには複数の増加経路があるが,11β-HSD Type1酵素は コルチゾールを増やす酵素である
- 11β-HSD Type1酵素をノックアウトした(=遺伝子操作で この酵素が作れなくなった)マウスでは,高脂肪食を与えられてもメタボにならない
- 漢方薬の甘草[カンゾウ]の薬用成分であるグリチルリチンには,11β-HSD1酵素を阻害する作用がある
以上のことから,11β-HSD酵素を抑制(=阻害)して,コルチゾール濃度を下げてやれば,肥満・糖尿病・高血圧を同時に解消できる薬となることは確実と考えられました.そして 甘草のグリチルリチンという,11β-HSD1酵素を阻害する化合物が実際に存在するのですから,
これをお手本にすれば,すぐにも 万能のメタボ治療薬=11β-HSD阻害薬 は実用化できるであろうと期待されました. であれば 1日でも早く開発したものの独り勝ちとなります.そこで世界の製薬会社で猛烈な開発競争が始まりました.
無条件に阻害して失敗
しかし 最初に開発された11β-HSD阻害薬は 頓挫しました.
11β-HSD酵素には,コルチゾールを増加させる Type1と,逆に減少させるType2とがあるのですが,この双子のようによく似た酵素をどちらも阻害してしまったのでは意味がなかったからです.
選択的11β-HSD1阻害薬
そこで,Type2は阻害せず,Type1のみを阻害する選択的11β-HSD1阻害薬が開発されました.そして この選択的11β-HSD1阻害薬を糖尿病患者に投与する臨床試験を行うと,たしかにそこそこの血糖値低下効果はみられました. ただし期待されていたほどには強力な効果ではありませんでした.
なぜそうなったのか
11β-HSD1阻害薬の効果がさほどでもない理由の一つとしてあげられているのが,この記事でも紹介したように,
- コルチゾールの生成経路は一つではない. 11β-HSD1酵素による経路と,HPA軸 による経路とがあり,後者は11β-HSD1阻害薬では抑制できない.
- したがって,11β-HSD1酵素を阻害してコルチゾールを低下させても,それを補うようにHPA軸 による経路が活性化して,11β-HSD1阻害薬の効果をキャンセルしてしまう.
という説です.たしかに理にかなった説明ですが,もう一つの考えが,しかも もっと決定的で深刻な考えが出されました.
この記事 で,『コルチゾール生成経路は二つあるのだから一方を閉じても,もう一方はがら空きだ』と指摘した Harno博士が 2013年に さらにこう発表したのです.
論文タイトルの通りです.
野生型マウスでも,11β-HSD1酵素をノックアウトした(=遺伝子操作で作れなくした)マウスでも,11β-HSD1阻害薬を投与すると同じように代謝が改善される
ことを見出したのです.ノックアウトマウスの体内には 11β-HSD1酵素はまったく存在しないのですから,それを『阻害』する薬を投与しても何の変化も起こらないはずです.それなのに野生型マウスと同じ効果がみられたということは,
11β-HSD1阻害薬として開発したつもりでも,実は 11β-HSD酵素とは全然別のところで生理作用を発揮していたのではないか,つまり;
今までの開発は Off-Target(的外れ)だった
あーあ 言っちゃったという感じですね.
それを言っちゃあ おしめえよ
これで 2013年をピークにして,急速に11β-HSD1阻害薬の熱が冷めてしまったわけが ようやく理解できました.複雑な人体の生化学を相手にする新薬開発においては,こんなこともあるのですね.
日本糖尿病学会の『糖尿病専門医研修ガイドブック』では,11β-HSD1阻害薬は 将来の登場が期待される新薬候補として紹介されていますが,おそらくその可能性は低いと思います.
11β-HSD1阻害薬【完】
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