日本糖尿病学会は,1993年の『食品交換表』第5版 発行以来,
- すべての患者はBMI=22を標準体重とする. すなわち身長が同じなら標準体重は一律に同じとする
- この標準体重に日常活動度を乗じてカロリーを設定した,カロリー制限食を一律に適用する
- カロリー制限食は炭水化物=50~60%,脂質,蛋白質は20%以下とする
が唯一の糖尿病食事療法であり,そしてこれは糖尿病に限らず,健常者も含めたすべての日本人の『健康食』であるという立場(=以下【従来路線】と書きます)を堅持してきました.
更に2013年には『提言』を発表して,『低炭水化物食(=糖質制限食)は勧められない』と表明しました.
この提言を受けて,2013年に発行された 『食品交換表』第7版では,わざわざ一項を設けて『糖質制限食は行ってはならない』と記載しました.
しかし,これで議論が決着するどころか,むしろその後の学会などでは,医療関係者からも数々の疑問(=以下【疑問】と書きます)が出され,議論は過熱する一方でした.
答えあわせ
そこで,ここでは,この『糖尿病診療ガイドライン 2019』(=以下 【GL-2019】と書きます)が,
【従来路線】に比べて どこがどのように変更されたのか,または変更されなかったのか,さらに【疑問】に対して どう回答しているのか,答え合わせをしてみます.まず 冒頭の3つについては:
【従来路線】 | 【疑問】 | 【GL-2019】の答え |
身長が同じなら,すべての患者はBMI=22を標準体重とする | 日本人の統計を見ても,BMI=22がベストとは断定できない.むしろ高齢者では BMI=25に近い人が死亡率が低い | BMIは年齢に応じて設定する.高齢者はBMI=22~25とする.標準体重という言葉はやめて『目標体重』とする |
標準体重×日常活動でカロリーを設定する | 学会の見積ではデスクワーク主体なら日常活動度25~30としているが,実測データに比べ明らかに過少だ. よって学会の設定カロリーは過少すぎる | 日常活動度を見直す.デスクワーク主体は『普通』の活動度とする |
カロリー制限食は炭水化物=50~60%,脂質,蛋白質は20%以下とする | この比率が『理想的である』というエビデンスは存在しない | 『各栄養素についての推定必要量の規定はあっても,相互の関係に基づく適正比率を定めるための十分なエビデンスには乏しい』(p.37) これは単に食品交換表作成時点での日本人の平均摂取割合を表示したものであった.今後この比率はは『目安』とする |
実測データを突き付けられたり,『エビデンスがない』と指摘された部分については,さすがにこのように訂正しています.
しかし,それ以外の部分を見ると;
【従来路線】 | 【疑問】 | 【GL-2019】の答え |
(『食品交換表』には,「食後高血糖」「血糖値スパイク」という言葉すら記載なし) | 炭水化物の多い食事で血糖値スパイクが発生してもいいのか? | 『近年食品の摂り方によって,食後血糖の上昇を抑制し,HbA1cを低下させ,体重も減少できることができると報告されている』『すなわち,野菜など食物繊維に富んだ食材を主食より先にたべ,よく噛んで咀嚼することによって,食後の高血糖の是正が期待できる』(p.46) |
蛋白質の摂取比率は年齢・性別によらず20%以下 | 高齢者は十分な蛋白質を摂取しないとサルコペニア・フレイルになるが? | 『蛋白質摂取比率は,20%以下とすることが妥当と考えられる.ただし高齢者糖尿病におけるフレイル予防のための蛋白質摂取量については,別個の視点が求められる』(p.40) |
糖質制限食は勧められない | 低炭水化物食により血糖コントロールは明らかに改善する | 『炭水化物の摂取量と糖尿病の発症率との関係を検討した例は少なく,両者の関係は明らかではない』[以下 延々と 長文の最後に]『しかし,総エネルギー摂取量を制限せずに,炭水化物のみを極端に制限することによって減量を図ることは,その効果のみならず,長期的な食事療法としての遵守性や安全性など重要な点についてはこれを担保するエビデンスが不足しており,現時点では勧められない』(p.39) |
炭水化物が60%でも,ベジファーストでよく噛めば,血糖値スパイクは発生しないという立場です.
高齢者のたんぱく不足は大いに懸念されることですが,『別途考える』であって,増やすべきとも減らすべきとも一切ノーコメントです.
そして最後の欄には唖然としますが,この項目は【GL-2019】の[Q3-5]なのですが,設定質問は 『炭水化物の摂取量は糖尿病の管理にどう影響するか?』なのです.それなのにその回答が,『炭水化物量と糖尿病の発症に関係はない』と言ってみたり,『低炭水化物食で減量を期待するな』と言ってみたり,つまり
炭水化物=糖質は血糖値を上げるのか/コントロールを悪化させないのか
という点については スルーしています(少数の報告はあるが,エビデンスではないという立場).さらに;
【従来路線】 | 【疑問】 | 【GL-2019】の答え |
(『食品交換表』には,「カーボカウント」の記載なし) | 糖尿病患者にカーボカウントを教えるべきだ | 『インスリン療法中の患者にカーボカウントを指導することは,血糖コントロルーに有効である』(p.38) |
カーボカウント,すなわち炭水化物摂取量を把握して血糖値上昇を予測し,それに見合うインスリンを注射することの有効性は認めています.しかしそれならば
『インスリンの分泌が不足 または遅延する人が,そのインスリン分泌で対応できるように糖質摂取量を加減する』
のがどうしてカーボカウントではないのでしょうか?
この【GL-2019】の表現は,裏返せば『カーボカウントは,インスリンを使っていない患者には無縁のものである』と読めます.そしてそう主張する理由は;
この方法(=カーボカウント)の一種の悪用によって極端な低糖質食に走ることのない様に留意すべきと考えられる.
第56回日本糖尿学会 シンポジウム6-1
だからでしょう.カーボカウントの効果は認めるものの,糖質制限食につながりかねないから,インスリンを使っている患者以外には認めないというわけです.
総合的には[私見]
糖尿病診療ガイドライン 2019については,すで多くの方が評論していますが,私の結論も同じです.
炭水化物60%という高糖質で,カロリー制限食という枠組みだけは絶対に変更するつもりはない
こう表明したものと見ます. エビデンス不在や,実測データと明らかに齟齬がある部分については修正しましたが,それは最小限の訂正で済ませて,根幹には指一本ふれさせないという立場は変わっていないと思います.
[53]に続く
コメント
ページ数の多いGL-2019の結論を教えてもらって楽ができました。
糖尿病学会の上層部は、糖質制限をすれば、糖尿病に関する全医療システムの大半が要らなくなることを熟知した上で行動しているように見えます。
一挙にアメリカ並みにすると、実際に治療をしている末端が大混乱を起こします。
これを防ぐために、ゆっくりと方向変換を始めたのでしょう。
私は、今後、学会が目的に向かって苦しまぎれの行動をする様子を眺めて楽しむつもりです。
予想は、アメリカ糖尿病学会のように数年掛かりで方向転換する、です。
この間、糖尿病患者の悪化は、これまで通り無視し続けます。
糖質制限を行って「自分の身は自分で守る」人だけが助かります。
日本糖尿病学会も一枚岩ではなく,食事療法に限らず 意見・見解の相違のある問題は多いようです.
ただ 現行の食事療法,つまりカロリー制限食をこれまでのような,『すべての糖尿病患者に一律・機械的・無条件に適用する』ことに対しては,今や 反対意見の方がが多くなってきたように思います.
昨年5月の仙台の学会で,シンポジウムの最中に会場から飛ばされたリアルタイムツイートの『野次』は,圧倒的に 『食事療法の自由度を上げろ』というものでしたから.
食品交換表にこだわっている方々は、何を恐れているのでしょうね?
糖質制限だけでなく、ADAのように地中海食や低脂肪食、ベジタリアン食など、患者の嗜好に合わせて選択できるようにすればいいのではないかと思うのですが。
やはり、多民族国家かどうかが大きいのでしょうか。
それとも、食事療法が多彩になると指導が面倒くさくなるから?
何度も出てくる文言に「遵守率」がありますね。
これが理由なのでしょうか?
だとしたら、カロリー制限食であっても遵守率が高いとは思えません。
多くの患者は設定されたカロリー摂取を守れていないと思います。
わたしの主治医に、「わたしは指定された1400kcalではやせ型がさらにやせてしまったのだけれど、それでもこの設定なのはなぜ?」と聞いてみたことがあります。
答えは、「普通の患者さんは、(教育)入院中は病院食をガマンして食べるけど、退院すればまず間違いなくカロリー摂取は増える。だから、最初に厳しく設定しておけば、少々カロリー摂取が増えることで結果的にいい塩梅になる」。ちょっと苦笑しながらそう説明してくれました。
これは、臨床の現場の本音なのでしょうね。
最初の指導が甘いと、患者はさらに自分に甘くなるので、節制が全くできなくなってしまうというわけですね。
なぜそうなるのかと言うと、どの食事療法であれ、患者が選び取るのではなく医師から押しつけられるから遵守率が下がってしまうのでしょう。
糖尿病患者のブログを見ていると、糖質制限であれ菜食であれ筋トレであれ、患者自らが情報を得て実践しています。みんな、標準的な食事では糖尿病は改善しないことが分かっているから、それ以外の方法を自分で探してきて実践しているわけです。
そういう人たちは遵守率が高いです。自分でその方法を選んだのですから、当然ですね。
医師から特定の食事療法を押しつけられた場合、遵守率は下がってしまうでしょう。
そのとき何が起こるかというと、患者の元の食事内容に戻っていきます。
糖質制限であれ、低脂肪食であれ、ベジタリアン食であれ、指定されたPFC比率や食材が守られず、元の食事に近くなります。
これはつまり、日本人の平均的なPFC比率、炭水化物60%、脂質25%に戻っていくということなのでしょう。ベジタリアン食を強要されても、つい動物性の食材を摂ってしまうでしょう。
また、緩い糖質制限の場合、患者によっては糖質量さえ守ればいいと考え、食事で主食は全く食べないが、その分、饅頭やケーキで糖質を摂ってしまうかもしれません。これでは本末転倒で、おやつは控えて、その分の糖質は未精製穀物などから摂るべきです。
結局、医師の側も患者の側も、どちらも意識改革が必要なのかなと思います。
食事療法は患者が自ら選び、決めるもの。
そういう考えにならない限りは、食事療法が改定されることはないのかなと思います。
高齢者へのたんぱく質ですが、91歳になる大叔父は、最近になって主治医から「肉食え、肉」と口うるさく言われるようになったようです。しかし、それまでは長年「肉は食うな」と指導されてきたので、90歳を超えた今になって急に「肉を食え」と言われてもそんなに食えん、と戸惑っています。
わたしの父親はカロリー制限、太るのは悪、ということのみが頭に染みついているので、BMIが20程度までやせていて足も細くなってしまっているにもかかわらず、体重を測定して少しでも体重が増えていたら「やせなアカン!」と言っています。そして、大好きなカップラーメンの成分表を見て、「このラーメンはカロリーがこれだけしかないから食える。餅を1個入れても大丈夫や」と嬉しそうに食べています。
この夏は、市販品をよく利用する両親のために、生クリーム・牛乳・卵・ラカントシロップで作ったアイスクリームを差し入れしていますが、そのたびに父親は嬉しそうに「お前が作ったアイスは低カロリーでヘルシーやから食ってもいいんやな?」と言います。何度も「いや、カロリーは高い。でも、砂糖を使ってないから血糖値は上がらない」と説明するのですが、全く理解できないようです…
>食品交換表にこだわっている方々は
『これまで先輩から連綿と受け継がれ,完成の域に達した食品交換表』を否定することはもちろん,いささかでも批判されるだけで『我々の業績をないがしろにするつもりか』という,論理よりも感情要素の方が強いのではないかと思っています.学会抄録集ですら 学術的とは思えない言葉遣いが散見されますが,実際の討論会場では,かなり感情的な場面もみられました.
だからこそ 反論の余地のない,実測データを持ち出したのでしょうね.
>糖尿病患者のブログを見ていると、糖質制限であれ菜食であれ筋トレであれ、患者自らが情報を得て実践しています。
逆に医師の方から見ると,素人である患者が正確な知識を持って判断などできるはずがないと とらえているようです.たしかに大多数はそうでしょうね. 糖尿病患者のすべてがネット情報を検索したり ブログにまとめたりしているわけではないし,何度説明されても『甘いものはやめました. でも麺類は甘くないからいいんでしょう?』という人も多いでしょう.
ただ仙台の学会でも,『食品交換表に忠実に従っていた患者が血糖コントロール不良のため,勝手に 糖質制限を始めてしまった.すると血糖値がみるみる改善したので,当院での治療全般に対して不信感を抱かれてしまった』という声もありました. 治療最前線の医師は かなり焦燥感を抱いているように思います.
>炭水化物60%という高糖質で,カロリー制限食という枠組みだけは絶対に変更するつもりはない
現在、糖尿病患者、糖尿病性腎症および透析患者は増え続けています。
これは覆しようのない事実なのですが、それが上記の方針の結果である事はほぼ明らかであり、近い将来、健康被害訴訟が起こってもおかしくないのではないかと思います。
日本糖尿病学会は、食後高血糖と糖尿病の関係についてどのように考えているのでしょうか。日本糖尿病学会にとって炭水化物と食後高血糖はパンドラの箱なのでしょう。
そして、国(厚労省)は、この件をどう見ているのでしょう。
>日本糖尿病学会は、食後高血糖と糖尿病の関係について
これはもちろんわかっています. 糖質制限 反対派ですらわかっています.わかっているからこそ,糖質制限がそこを解決してしまうので困り果てているのでしょう. 糖質をたくさん食べさせれば糖尿病が悪化に向かうこともわかっています.ただ 脂質=肥満=インスリン抵抗性 という,これは絶対のドグマなので,脂質は減らせ,蛋白質も過剰はダメ,だから 消去法で どうしても残りは炭水化物以外にないじゃないか,という考えです.
ただ 私が初めて学会に参加した頃は,学会のほぼ全員が 糖質制限食に対して 軽蔑と憎しみで目をギラギラさせていましたが,最近はそういう人は ごく一部しかいません. 大勢としては 糖質制限食も選択肢として入れるべきだろうと思っている人がほとんどだと感じています. ただそこまで口に出せる雰囲気ではないことは事実ですが.
>脂質=肥満=インスリン抵抗性 という,これは絶対のドグマ
私は、これ(脂質=肥満)すら絶対だとは思えません。
糖質が少なければ脂質をかなり多く(70%前後)摂っても肥満にはならないどころか、過体重であっても減量して適正体重に落ち着くことは経験上も明らかです。
肥満になるのは摂取するものが何であれ基本的にカロリーオーバーですから。
>ただそこまで口に出せる雰囲気ではないことは事実
糖尿病専門医は、特にそうでしょうね。学会幹部に睨まれたら専門医としてやりづらくなりますから。
ここを崩すのは日本糖尿病学会にしがらみのない糖尿病専門医以外の医療者か、専門医を返上して学会を脱退する医師じゃないでしょうか。
あるいは脱退者が続出して機能不全になる可能性も捨てきれません。もう、そう言う段階にきているのではないでしょうか。
なにしろ『ドグマ』つまり イデオロギーなので,合理的な議論は はるかイスカンダルの彼方にあります.このドグマが確立したのは,食品交換表 第5版の時ですが,その時点では,『米国は高脂肪食で肥満→インスリン抵抗性→糖尿病になっている』,だから『私たちが低脂肪食で日本を救ってやる』という崇高な使命感,そして それを食品交換表という形に仕上げて 達成感にひたったのでしょう. 糖尿病食事療法に関する学会重鎮の方は,当時 高揚感が頂点に達していたと思います. だからこそ 少しでも食品交換表を批判されると,激しい感情的反発をみせます. 誰しも 自分の若い頃の業績を馬鹿にされたら怒りだすのは理解できますけどね. ただ 患者の姿は見えているのでしょうか.
>学会のほぼ全員が 糖質制限食に対して 軽蔑と憎しみで目をギラギラさせていました。
こんな大群を相手に一人で戦いを始めて、現在の糖質制限優勢の状態に持ってきた江部先生の作戦力と持久力には敬意を表します。
サラリーマンなら経験があるでしょうが、馬鹿と戦うことほど大変で始末の悪いものはありません。
2015年くらいまでは,ほとんどの医師は 糖質制限食がどういうものなのか実態を知らずに,ただ学会の情報だけで『危険らしい』と思っていたようです.しかし,その後 実際に糖質制限食を実行している患者を見る機会が多くなり,その時点で認識をあらためた医師が増えたのでしょう.昨年の学会でも,『医師に勧められて 糖質制限食を始めた』という患者が多くくなってきたようです.