【この記事は 第66回 日本糖尿病学会年次学術集会を聴講した しらねのぞるばの 手元メモを基にした感想です. 聞きまちがい/見まちがいによる不正確な点があるかもしれませんが,ご容赦願います】
ガラパゴス
思えば10年以上前,当時の糖尿病学会が推奨する『食品交換表による糖尿病食事療法』でひどい目にあったぞるばは,それ以降 いったい糖尿病学会は糖尿病患者の食事療法を本当にこれでいいと思っているのか,今後どうしようとしているのかを見極めるために,日本糖尿病学会及び 日本病態栄養学会学会の年次学術集会にほぼ欠かさず参加してきました.
したがって,学会会場では ひたすら食事療法に関する講演・症例報告をメインに聞きまわってきました. 決して西村コーヒーや神戸スイーツばかりを飲み食いしていたのではありません.
今回も それにならって 学会で行われた食事療法に関する シンポジウム・講演を聞いたので,その感想を書き連ねるつもりでした.
ところが,その前に 東大 佐々木 敏教授が,機会ある度に非常に強い言葉で日本の栄養学を批判しているのがどうにも気になって,その背景を調べる方が先になりました.
その結果は,ここまでの記事の通りです. 新聞・テレビ・健康雑誌などでは,『バランスがよくてヘルシーな和食』とくりかえされています. ところが,それを科学的に裏付けるエビデンスは何もなかったのです.
東大の佐々木敏教授も,京大の佐々木 努教授も,日本のメディアには
ことを憂えています.
しかもそれだけでなく,そもそも日本の栄養学は『食事と健康』との関係を研究できるほどの基盤がなくて,国際的な栄養学専門学術誌ではほとんど存在感がないこと,もちろん学会が推奨する『食品交換表』に至っては言及すらされていないこと,これはショックでした. 学会では『食品交換表は世界最高のレベル』という正反対の説明を何度も聞かされていたからです.
ここに至って,糖尿病学会の食事療法のシンポジウムの場で,佐々木教授がこう述べた意味が ようやくわかりました.
第57回 『糖尿病学の進歩』シンポジウム講演 4SY-3-2
- 今後は以下の人材が必要である
- 食事療法を研究する医師
- 科学がわかる菅理栄養士
- メカニズムよりも患者行動に精通した研究者
言い換えれば,現在 上記の人材は存在していない,という意味です.
最初は なんでまたこれほどボロクソに言うのだろうと不思議だったのですが,医学文献のデーターベース PubMed を調べてよくわかりました.
これでは『現在の日本の糖尿病食事療法はガラパゴス』であるのも当然でしょう.
教育講演 19 糖尿病患者の食事療法アップデート
日本糖尿病学会は,糖尿病専門医 (および 糖尿病専門医をめざす一般内科医) に向けて基本的な知識を整理して解説する『教育講演』というものを開催しています.糖尿病の病理・診断・治療・基礎研究など各テーマに沿って,極端な話,糖尿病の知識がゼロの医師にも理解できるように基礎から丁寧に解説してくれます.
この教育講演を行うようになったのは 第40回糖尿病学会(1997年)からですが,それまでは「臨床セミナー」という名前でした. 1996年の臨床セミナー2「食事療法の要点」では,患者への食事指導はこういうトーンでした.
食事療法の具体的な指導食品交換表の利用
この問題は日本糖尿病学会編「糖尿病食事療法のための食品交換表」第5版を上手に利用することにつきる。私の手法を以下に示す。
(1)理解度の良い患者には食品交換表の使い方を教え、献立作り、食品の秤量、調理を指導する。
(2)理解度の悪い患者には指導する側が頭の中で食品交換表を応用しながら患者が実際に食べている献立を少しずつ矯正して指導者が意図する食事内容に導く。
(3)まったく理解し難い患者の場合には家族の協力や宅配業者の協力を仰ぐ。
「指導」「導く」「まったく理解し難い患者」などという言葉の通り,当時は食品交換表を患者に厳しく守らせるべきという考えだったのです.
これ以降,食事療法に関する教育講演は,ほとんど変化も進歩もありませんでした. 毎回 話す内容は同じで『食品交換表に沿って食事療法を行いましょう』だったからです.
このスタンスは最近まで続いてきましたが,さすがに『糖尿病診療ガイドライン 2019』以降は『食品交換表』という言葉は教育講演でも聞かれなくなりました.
今回の食事療法に関する教育講演は,京都府立医大の福井 道明先生が講師で,その内容は 大要 下記の通りでした.
・食品交換表 第7版までのカロリー見積は過少だった
第66回日本糖尿病学会年次学術集会 教育講演19
・BMI=22を一律に目指すのは,特に高齢者には不適切だった
そこで現在では 以下を糖尿病の食事療法として推奨する.
(1) 炭水化物比率は50~60%が最適
(2) 一日3食は守るべき. 朝食は抜かない
(3) 食物繊維を多く摂る
(4) 早食いはしない
(5) 遅い夕食はしない
(6) 蛋白質は3食均等に
(7) 味噌などの発酵食は積極的に摂取
(8) 脂質が苦手な人は中鎖脂肪酸を
上記の内,(1)の『 炭水化物比率は50~60%が最適』については,この文献を根拠としてあげていました.
年齢が45~64歳の米国人 15,428人を25年間(中央値)追跡して,全死亡率を観察したものです.その結果は;
となっており,講演では『この報告では炭水化物比率が50~60%でもっとも死亡率が低かった』という解説に続けて
『だから,この結果(=上記文献)を見ても,やはり日本人の一般的な炭水化物摂取比率である50~60%が,生命予後としてはいいということになる』
と述べました.
異議あり
異議1
まず上記のSeidelmannの文献ですが,この観察研究の対象者は 45~64歳の米国人です. すなわち高齢者は含まれていません.
また対象者の構成を見ると白人が約70%,黒人が約30%であり,アジア人は1%未満でした.
さらに対象者の平均BMIは 27~28でした.
しかもこの研究の対象者は,地域の健康観察研究計画に参加応募してきた人達であって,糖尿病患者だけを集めたのではありません.
背景・対象者がこうなのに,これをそのまま日本人の糖尿病患者全員に適用できるでしょうか? なぜなら 現在日本の糖尿病患者の大半は高齢者なのです.
45-64歳の米国人を対象としたこの観察結果を,高齢者が中心の日本人糖尿病患者にそのままあてはめることが妥当とは思えません.
これでは,かつて 30-55歳の人を調べた職域健康診断の結果だけでBMI=22が理想的だと断定してしまい,全年齢に適用した過ちをくりかえすことになります.
この講演は,日本糖尿病学会の糖尿病食事療法に係る教育講演なのですから,日本人糖尿病患者の炭水化物摂取比率と全死亡率との関係を示してエビデンスとすべきでしょう.
異議2
この講演では,上記の文献が報告する結果を受けて,『これは日本人の一般的な炭水化物摂取比率である50~60%と一致している』と解説していました.
たしかに 2019年 国民健康・栄養調査 では,日本人の炭水化物摂取比率は平均 50~60%(性別・年齢層により異なる)ですが,それは平均値です.
健康栄養調査では『日本人の炭水化物比率は平均値としては 50~60%であった』と書いているだけであり,『日本人はすべて50~60%であった』とは書いておりません.
この記事でも述べたように;
『日本人の平均は』を『日本人はすべて』と錯覚させるのは,典型的な 統計用語のトリックです.
理事長講演では
学会1日目午後の 理事長声明では,
食品交換表に代わるものとして,新たに『健康食スタートブック』という電子書籍(e-Book)が近日中に学会のHPで公開されるとアナウンスされていました.
おそらく この教育講演の内容がそのまま『健康食スタートブック』として,全国の医療機関に推奨されるのでしょう.
ということは,依然として学会は『炭水化物 50~60%が最適』というスタンスは変えるつもりはないという意思表明と見ました.
しかし,『日本の糖尿病患者の全死亡率が最低になるのは炭水化物比率が50~60%である』というエビデンスはどこにもありません.
エビデンスもなしに ガイドラインを作れば,それは 怪しげな民間療法と同じです.
学会は 糖尿病食事療法をどうするのでしょうか.
第66回日本糖尿病学会の感想 【完】
コメント
糖尿病患者(私)が炭水化物50〜60%で厚労省推奨のカロリーを摂取できる食事をすればどうなるかは一目瞭然です。
しかし、私の主治医は、それでもその食事にしないと将来、腎症のリスクがあるとかエビデンスもないのに色々と糖質制限食に反対してきました。将来発症するかしないのかわからない腎症のリスクのために、現時点で明確にリスクがある高糖質の食事をしろと意味不明な事を言われました。あぁ、世の中の一般的な糖尿病専門医ってこんなものかと絶望しました。以来、自己責任で糖質制限食を続けていますが、今の所、悪い兆候は何ひとつありません。
>色々と糖質制限食に反対
>世の中の一般的な糖尿病専門医ってこんなものか
糖尿病専門医であっても,いやむしろ糖尿病専門医だからこそ そう言ったのではないでしょうか.
炭水化物50~60%以外は認めないと言っておけば『安全』だからです.
ただしここでいう『安全』とは,患者にとって安全という意味ではなく,その医師にとって安全という意味です.
その当時の糖尿病診療ガイドラインや治療ガイドには,『食事療法は炭水化物50~60%が最適である』と書いてあったのですから,その指針に従っておけば,何があっても医師は責任を問われないからです.
だからこそ,学会のガイドラインが変わらない限り 何も変わらない,そういうことだと思います.
逆にもしもガイドラインが,『糖尿病の食事療法は,患者の耐糖能に応じて最適化しなければならない』となれば,その日から医師の言うことは正反対になるでしょう.