第5版を生んだ背景
食品交換表は,初版から第4版までは,「1,200kcalまでは基礎食として炭水化物/脂質/蛋白質の摂取量を指定. それ以上は付加食で患者の自由」であったのに.第5版からは箸の上げ下ろし,いや,
「カロリー・栄養素構成のすべては医師が指示する/患者に選択の自由はない/それを一生守れ」
となりました.
何でも相談に乗ってくれていた優しい主治医が,ある日を境に急に怖い顔になり「これからはすべて私の言う通りにしろ」と言い始めたようなものです.
どうしてこんなに急転換したのでしょうか?
発行経緯
風は米国から吹いてきた
その原因は米国でした.
日本が戦後の食糧難・栄養失調からようやく抜け出しつつあった1960年代以降,日本が『進歩した食生活の先進国』として目標にしていた米国では,逆に肥満者の増加が問題になっていたのです.
第二次世界大戦の勝利により,世界でもっとも裕福な国になった米国でしたが,肥満の増加と,そして心疾患死が注目されつつありました.
米国では BMI=30以上を『肥満』と定義していますが,1960年代から1980年代の間に,肥満の成人が2倍に増えたのです. 日本の肥満の定義では BMIが25以上ですが,それに従うと10人中8人が肥満ということになります.
この状況を見て,米国議会上院に 調査委員会が設置されました. 通称 「マクガバン委員会」です.
[12]に続く
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