『嘘だろー!!』
兄が急死との知らせを聞いた時に 思わず出た言葉です.兄は長年パーキンソン病を患っていました. 発症直後は歩行が極端に遅くなり本人も苦しんていましたが.その後 主治医の慎重な投薬管理が功を奏して,現在では 病状は軽~中度(ヤール分類[PDF] で II~III度)と重症ではありませんでした.わずかに動作が遅くはなっていはいますが,一応自立生活できていたのです.実際 亡くなる数日前までごく普通の文面のメールが届いていました.
しかし,なにしろパーキンソン病では 振戦(こまかい指先の震え)と並んで 運動障害が主症状ですから,第一報を聞いた時には てっきり 転倒して打ちどころが悪く急死したものだと思いました.
ところが実家に駆け付けて遺体と対面すると,どこにも怪我や内出血はありません. 医師の死亡診断書を見ても『死因:不詳』とあるだけです. 死亡診断した医師も 申し訳なさそうに説明してくれましたが,死因を特定しようとあれこれ検査したものの,まったくわからなかったとのことでした.こんなことがあるのでしょうか?
ところが Pubmed で”Parkinson” & “Sudden Death”を検索したら,こんな報告がありました.
パーキンソン病は進行性の病気なのですが,発症5年以内の死亡率は健常人と変わりません.しかし発症後10年以降では 死亡リスク比は健常人に対して高くなります. ただし,それらの死因の典型例は,肺炎・認知症・ガン・(通常の)心疾患などであり,どれも驚くほどの突然死を起こすものではありません.
ところが,この文献では パーキンソン病の重症度や罹患年数にかかわらず,詳細な解剖を行っても死因を特定できない『突然で予想外の死亡(Sudden Unexpected Death in Parkinson’s Disease = SUDPAR)』が(比較的 稀ではあるものの)存在すると報告しています.
パーキンソン病の神経障害は,通常脳中枢からの神経信号が末梢に伝わらないために起こる 歩行障害(Parkinson’s gait)や,特徴的な手指の震え(振戦)が有名です.しかし,神経障害は中枢神経系だけでなく,自律神経でも起こっています.パーキンソン病の典型的な自律神経障害は,消化管の蠕動運動が減退するために起こる便秘です.
なので,この論文では 機序は十分説明されていないものの,自律神経障害が心臓自身の神経系を狂わせてしまい,何の前触れもなくフッと灯が消えるように『自然に』心臓が停止してしまったのではないか,と著者は仮説をたてています.
この突然死は 発生機構が不明なので,現時点では予防策も未知のようですが,兄のような実例を目の当たりにすると,パーキンソン病の人は 心電図検査をこまめに受けた方がいいのではないでしょうか.
歳も近いので,子供の頃は 兄と私はよく双子だと間違われました.
しかし,兄と私では決定的に違うところがありました. 私は運動音痴(うんち),兄はスポーツ万能でした.
ですので 何をやっても兄は活発で,私は引っ込み思案でした.
兄は 大学を出てからは,海外にも長く暮らし,英語はネイティブ並みでした.
没後の遺品整理のため,兄のPCを探してみると,いろいろなネットサイトに登録していましたが,そのIDやパスワードには,[意味不明の文字列+数字]が設定されていました. 最初はランダムな文字列かと見えましたが,それほど無規則ではない. 調べてみると いろいろな国の地名でした. それも国や都市の名前ではなく 街(Town)の名前でした.察するに若いころ暮らしたことのある街の名前と住んでいた年月とを組み合わせていたのです. なるほどこれなら 本人にしかわからない組み合わせです.
パーキンソン病で 体は思うように動かなくなったが,いつかもう一度,若いころに住んでいたあの町この町を再訪してみたいと願っていたのでしょう.
たしかにパーキンソン病なので,私よりは長生きしないかもとは思っていましたが,まさか これほど早く別れることになるとは.
悲しいです.
コメント
私の父が亡くなったのも突然と言えば突然でした。
悪性リンパ腫で抗がん剤治療していましたが、6回中2回目の投与でリンパ腫は確認できないくらいに効果があり、残り4回は念のためというスケジュールで半年少々の治療を行いました。
マニュアル通り6回目の投与で入院した際、白血球が500程度まで下がってこれまで5回の投与の中では極端に低くなっていました。
そして数日後に下痢が続いていると母から電話で聞き、すぐに感染症を疑いましたが、医師はあまり気にしている様子はなかったようです。
それから2週間後に敗血症から腎不全が元で死亡しました。
元々の悪性リンパ腫は寛解だったのに感染症状が出てから2週間で亡くなってしまいました。その間(およびその後の2週間)私は休職して毎日病院に通い、父とは随分といろんな話ができた事だけはよかったと思うしかありません。
まさか治療が元で亡くなるとは思いもしませんでした。抗がん剤治療を途中で打ち切っていればと言う思いが今でも払拭できません。この事で医学に対して無知ではいけない、最終的には自己責任なのだと思うようになり現在に至っております。